3月7日
2004年3月7日

「主である聖霊」

箴言8.12-21;ローマの信徒への手紙8.1-11


 わたしたちは「聖霊を信じます」、と告白しますが、その聖霊は「主であり、命の

与え主」として働き、わたしたちと関わってくださるということをニケヤ信条は明ら

かにしています。三位一体において働かれる聖霊は、何よりも、生きることに関わり、

活かす方として働かれます。どのようないのちの力を聖霊は現されるのでしょう。そ

のことを確認しましょう。

 わたしたちの礼拝は「主イエス・キリストの恵、神の愛、聖霊の交わりがあなたが

たにありますように」という祝福の言葉によってはじまり、また終わります。これは、

主イエス・キリスト、父なる神、聖霊によって与えられるすべてのものがあなたがた

のものとなるように、ということですが、「聖霊」は「交わり」を与えると語られる

のは何故でしょう。キリストの恵み、神の愛は、別々のものではありません。それら

が聖霊によってわたしたちの中に恵のたまものとして注ぎ込まれ、わたしたちの中で

恵に応えて生きようとする思いがおこり、キリストの愛がわたしたちの中でも実りを

もたらすような交流が起こります。聖霊が働くところではそのような新しい命の交わ

りがあります。その意味で、聖霊はわたしたちの中で働く神、もっとも身近な神とい

うことになります。聖霊の神学者といわれたナジアンゾスのグレゴリウスは、「旧約

聖書は御父を明確に、御子を漠然と知らせました。新約聖書は御子を明らかにし、聖

霊を垣間見させました。今や、聖霊はわたしたちの間ではっきり認められ、わたした

ちにご自分を明らかに示されます。」と語りました。このような聖霊のわたしたちの

うちに起こしてくださる命の交わりについて知ることが大切です。

 ローマの信徒への手紙8章には、命の交わりをもたらす聖霊の働きについて、驚く

べき深さで語っています。例は、神の霊、キリストの霊、キリストと言い換えられて

いますが、「キリストがあなたがたのうちにおられるならば、体は罪によって死んで

いても霊は義によって命となっています。」「もし、イエスを死者の中から復活させ

られた方の霊があなたがたのうちに宿っているなら・・・あなたがたの死ぬはずの体

をも生かしてくださるでしょう」と。聖霊が与える命は、この罪と死の法則の中にい

る「死ぬはずの体」をも生かす働きをします。聖霊はそのような命を与える方として、

わたしたちの主です。


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