3月28日
2004年3月28日

「父と子とともに礼拝される聖霊」

イザヤ書6:1-8;使徒言行10:34-48


 ニケヤ信条の学びから、神を父、子、聖霊の三位一体において知り、また礼拝する

ことによって、」わたしたちが信じる神はどのような方であるか、わたしたちの救い

の根源は、まさに神の本質の内に求めることができることを学んできました。聖霊も

また、父と子と共に礼拝されるべきだと教えています。この意義を正しく知るならば、

わたしたちの生活は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感

謝しなさい」ということが、当然のようにできるようになります。

 聖霊を父と子と共に礼拝することは、独特の困難さが伴います。聖霊はわたしたち

の上や、わたしたちのそばにではなく、わたしたちの直中で働かれるからです。「神

はわたしたちにご自分の霊を分け与えてくださいました。このことからわたしたちが

神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります(T

ヨハネ4:13)と語られるように。神の霊がわたしたちの内にとどまるとき、わた

したちは御子・主イエスを知り、主の御名によって「アバ・父よ」と祈るものとなり

ます。神の愛がわたしたちの内にとどまり、神を愛し、また隣人を愛することができ

るものとなります。聖霊がわたしたちの内にとどまるとき、わたしたちは自分の愛が

どれほど限界のある小さなものであるかに気づかされるのです。「聖霊は、聖霊を与

えられた父と子の霊であるだけでなく、聖霊を受け取ったわたしたちの霊でもある」

とアウグスティヌスは語ります。聖霊はこのような方ですから、わたしたちは、しば

しば聖霊と自分の思いとを見分けることが出来なくなります。自分の思いが聖霊の働

きと見誤ったり、聖霊の働きを自分の力と見誤ることがあるのです。

 御言葉によって、聖霊の働きを深く学ぶことがなければなりません。使徒言行録は

「聖霊行伝」とも言われるように、聖霊の働きについて生き生きとした証言ですが、

その中でローマの百人隊長コルネリウスの回心の出来事、異邦人が洗礼を受け福音が

民族の壁を超えた出来事でも、主役を演じているのは聖霊です。聖霊はヤッファから

来たペトロの話しを聞いたコルネリウスとその家族、友人に下り、異言を語ったり神

を讃美したりする熱狂をあたえたことによって、その働きを表しているばかりではあ

りません。コルネリウスを動かしペテロを動かしている源です。


秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る