4月18日
2004年4月18日

「預言者によって語られる聖霊」

アモス書3:3-8;コリントの信徒への手紙U3:1-18


 ニケヤ信条は、聖霊についての信仰を言いあらわす言葉の最後に、「そして、預言

者によって語られました」という言葉が加えられています。聖霊が父と子と共に礼拝

される神であること、命の与え主であることを言いあらわした後、何か唐突な感じで

この言葉があります。これによって伝えられているキリスト教会に共通する信仰とは、

どのようなことなのでしょう。

 ここに言いあらわされている「預言者」とは、旧約のイザヤやエレミヤ、あるいは、

サムエルやエリヤなどの預言者のことだけでははありません。新薬の時代にも、預言

者は使徒と並んで働いたことが記されていますし、またその後の神の言葉を告げる務

めを紙からいただいて、それぞれの時代に教会で働いた人々がいます。これらのすべ

てを含み、「紙の言葉の告知であれ、聖書の執筆にさいして聖霊が霊感を与えたすべ

ての人のことである」と考えることができます。とすると、聖霊が預言者によって語

られたことを証しする、ということは、主に二つの大切なことを告げていることにな

ります。一つは、聖霊は、聖書の言葉、そしてそれを語る人の生きた言葉によってご

自身をあらわされる、ということです。聖霊と御言葉とが密接に結びついている、と

いうことです。御言葉において働き、御言葉を明示しない霊は「聖霊」ではありませ

ん。聖霊は超自然の力として、それを自由に操る超能力者によって働くのではありま

せん。神は言葉によってご自身をあらわし人格的にすべての人と交わりをもたれ、人

格的に神に応答して生きる人を呼び出されます。キリスト教は、まさに「言葉の宗教」

です。しかし、その言葉は人間の造り出した言葉ではなく、それは聖霊の働きによる

生きたことばです。

 もう一つの大切なことは、聖霊は、旧約、新約を貫いて働かれる神である、という

ことです。律法を与え、人間の罪を怒りさばく旧約の神と、弱きものと同伴する無限

にやさしき新約の神と別々の神が語られ信じられているのではありません。預言者を

通して語られた聖霊によって、それぞれの時にかなってみ言葉が語られ、時満ちて、

神の御子が聖霊によって受肉し、主イエス・キリストの死と復活によって、神の完全

な姿があらわされ、また、使徒たちに聖霊が注がれて、再び主の来られるときまでみ

言葉が語り続けられます。聖霊と神の救済史との関係が「預言者によって語られまし

た」と言う短い言葉によってあきらかにされています。


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