エゼキエル書36:24-28;ガラテヤの信徒への手紙5:13-25
「兄弟たち、あなたがたは自由を得るために召しだされたのです。ただ、この自由 を肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」 ガラテヤの信徒への手紙は、キリスト者の自由について、聖書の中でもっとも深く 大胆に語っている書物ですが、これまで、「〜からの自由」すなわち、主イエス・キ リストがわたしたちの罪のために呪いとなって十字架の死を遂げてくださったことに より、罪から解放されて、もはや律法の束縛のもとにいなくてもよくなった、と言う 自由が語られてきましたが、ここからは「〜への自由」が語られはじめるところで、 上記のみ言葉が語られています。あなたがたに与えられた自由を、愛によって互いに 仕えあう「機会」とせよ、と。「機会」と訳された言葉は、軍隊の発進基地を表す言 葉、また資産や資源をも意味しますから、キリストに合わされて、主と共にいること を学んだキリスト者が、その大いなる資産をどのように生かして用いるか、自由と言 う大いなる力をどこに向かって発進させるかについての、驚くべき教え、知恵がここ に語られています。愛によって互いに仕えることこそ、最も自由をよく生かすことに なる、というのです。これは大いなる逆説ですが、また、人類がだれでも知っている 大いなる知恵です。無償の、無条件の愛の労苦によって得られる実りこそ、本当に深 い充実感と生きがいを見出せるもの、そこにこそ人間として生きるものの真の自由が あります。人々がなにゆえにこれほど母の愛を深く記憶にとどめるのか、ここに愛の 原型を求めるのかを考えると、そのような無償の愛の中にこそ、人を真に生かすもの があることを知っています。 しかし、聖書の言葉は、このような経験的な知恵を得て生きるように、というので はありません。「霊の導きに従って歩みなさい」というのです。このことが大切です。 「霊」は人間の精神や理性のことではありません。創造主である父なる神、御子イエ ス・キリストとともに働く神である霊です。霊の導きに従うのは、従って信仰による のです。「本当の自由は愛によって互いに仕えることにある」と、大いなる思索の末 にこの心理に辿り着いたとしても、わたしたちはそれを実行する力がないと言うのが 実情です。しかし、聖霊はそのようなわたしたちの中で働いて、主イエスをたえず思 い起こさせ、実を結ぶように導いてくださるからです。