申命記6:17-26;ヨハネ3:1-15
わたしたちは、ひとりひとり神様から命をいただいています。その命を大切にしな ければいけない。自分の命を愛するように他の人の命も大切にしなければいけないと、 どこでも教えられるでしょう。しかし、わたしたちは自分の命も、他の人の命も大切 にするためには、「新しく生まれなければならない」ということを聖書から学びたい と思います。 「新しく生まれなければ」と不思議なお話をしたのはイエスさまです。ニコデモと いうファリサイ派の教師が夜こっそりイエスさまのところを訪ねて来ました。ニコデ モは、みんなの人からとても偉い人と尊敬され、「先生」と呼ばれていました。その ニコデモがイエスさまのところへ来て、「ラビ、わたしはあなたが神から来られた教 師であることを知っています」と言いました。イエスさまのなさったことを聞いたり 見たりしているうちに、「この人こそ本当の先生だ」と思ったのです。「ラビ」とは 「先生」と言う意味です。みんなの人から先生の中の先生と思われていたニコデモが、 イエスさまこそ神から来た先生だと思って、このイエスさまと友だちになりたい、こ のイエスさまを自分たちの仲間に入れたい、と思ったのでしょう。でも、夜こっそり 人目につかない時に来たというのは、ほんとうにそうかどうか確かめたい、と言う気 持ちもあったかも知れません。 イエスさまがニコデモに言ったことは、「はっきり言っておく。人は新たに生まれ なければ、神の国を見ることはできない」という言葉でした。ニコデモはびっくりし て聞きました。「年をとった者が、どうして生まれることができるでしょうか。もう 一度母の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」まるで、子どもみたいに イエスさまに聞いています。「新しく生まれる」というのはもう一度お母さんのお腹 の中にはいって赤ちゃんかが生まれるように生まれることと思ったので、そんなこと できるはずない、と。でもイエスさまは、「だれでも水と霊から生まれなければ神の 国を見ることはできない」と言われました。イエスさまのことが本当に分かるために は、イエスさまの心に自分の心を合わせて見るのでなければわからないよ。そのため に神様からの「霊」をいただかなければいけないよ、と言われたのです。新しく生ま れるためには、イエスさまを自分の友だちにするのではなく、イエスさまの友だちに、 自分がなるのでなければなりません。