8月1日
2004年8月1日

「来るべき世の命を待ち望む」

イザヤ35:1-10;ヘブル12:18-29


 ニケヤ信条の最後の言葉は、「死者の復活と、来るべき世のいのちを待ち望みます」

です。信仰が生み出す希望がこのような言葉で表現されています。わたしたちの礼拝

の終りに、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがたにある

ように」と、祝祷を受けますが、三位一体の神からの祝福の内容は、この希望をいた

だくことにある、と考えることもできます。

 わたしたちは、自分自身の終極、この世界の終極をどのように想定して生きている

でしょうか。この世界が思い描く終極は、グローバルな領域でも、個人の領域でも、

いよいよ厳しく、暗く、絶望的な、そして、リアルな像で語られることが多くなって

います。平和な世界の到来、安らかな望ましい死は夢のまた夢。しかし、わたしたち

は、それ以上にリアルに、信仰の希望を明らかに思い描くことができなければなりま

せん。生きた希望のないところでは、生きた生活はないからです。聖書は終極の希望

について、神の国の到来、再臨、主の日、最後の審判、永遠の命、不死の命、新しい

天と地、など、さまざまなイメージを提供してくれますが、それらはすべて、終極が

命無に帰することではなく、新しい時の初めであることを明らかにしています。わた

したちの真の命は、「キリスト共に神のうちに隠されている」のです。将来どのよう

な命にあずかるのか、それはわたしたちの言葉では言い表すことのできないものでし

ょうが、イメージを捉えるためのさまざまな言葉が聖書に記されています。

 ヘブライ人への手紙に、「あなたがたが近づいている世界」を「シオンの山、生け

る神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長

子たちの集会、すべての審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新

しい契約の仲保者イエス、そして、アベルの血より立派に語る注がれた霊です」と9

つのイメージが並べられています。一つ一つの言葉に多くの内容が込められており、

それを味わうことが大切ですが、ここでは、総じて、孤立した魂の永続性ではなく、

天にあるもの地にあるものの豊かな交わりの回復があり、神の秩序のもとで正しくさ

れる集まりと国があります。そして、何よりも、そこには、主イエス・キリストのあ

がないととりなしがあります。「新しい契約の仲介者イエス、アベルの血よりも立派

に語るそそがれた血」これが、終極に近づくわたしたちに備え付けられています。


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