イザヤ35:1-10;ヘブル12:18-29
ニケヤ信条の最後の言葉は、「死者の復活と、来るべき世のいのちを待ち望みます」 です。信仰が生み出す希望がこのような言葉で表現されています。わたしたちの礼拝 の終りに、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがたにある ように」と、祝祷を受けますが、三位一体の神からの祝福の内容は、この希望をいた だくことにある、と考えることもできます。 わたしたちは、自分自身の終極、この世界の終極をどのように想定して生きている でしょうか。この世界が思い描く終極は、グローバルな領域でも、個人の領域でも、 いよいよ厳しく、暗く、絶望的な、そして、リアルな像で語られることが多くなって います。平和な世界の到来、安らかな望ましい死は夢のまた夢。しかし、わたしたち は、それ以上にリアルに、信仰の希望を明らかに思い描くことができなければなりま せん。生きた希望のないところでは、生きた生活はないからです。聖書は終極の希望 について、神の国の到来、再臨、主の日、最後の審判、永遠の命、不死の命、新しい 天と地、など、さまざまなイメージを提供してくれますが、それらはすべて、終極が 命無に帰することではなく、新しい時の初めであることを明らかにしています。わた したちの真の命は、「キリスト共に神のうちに隠されている」のです。将来どのよう な命にあずかるのか、それはわたしたちの言葉では言い表すことのできないものでし ょうが、イメージを捉えるためのさまざまな言葉が聖書に記されています。 ヘブライ人への手紙に、「あなたがたが近づいている世界」を「シオンの山、生け る神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長 子たちの集会、すべての審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新 しい契約の仲保者イエス、そして、アベルの血より立派に語る注がれた霊です」と9 つのイメージが並べられています。一つ一つの言葉に多くの内容が込められており、 それを味わうことが大切ですが、ここでは、総じて、孤立した魂の永続性ではなく、 天にあるもの地にあるものの豊かな交わりの回復があり、神の秩序のもとで正しくさ れる集まりと国があります。そして、何よりも、そこには、主イエス・キリストのあ がないととりなしがあります。「新しい契約の仲介者イエス、アベルの血よりも立派 に語るそそがれた血」これが、終極に近づくわたしたちに備え付けられています。