出エジプト記1:1-14;使徒言行録7:1-22
出エジプト記の講解説教のシリーズをはじめます。ニケヤ信条を学ぶシリーズを終 えて、三位一体の神を信じることについて学んできましたが、このことを受けて、父 ・子・聖霊においてご自身を示され、わたしたちの救いのために働かれる神は、人間 の歴史の中でどのように働かれるのかを旧約聖書を通して学び直したいと思います。 出エジプト記は、言うまでもなくイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱 出し、約束の地カナンに帰還する物語が書かれている書物ですが、この中にエジプト の王ファラオとの対決や脱出に至る奇跡的な出来事、荒れ野の困難な旅、シナイ山で 十戒が与えられたことなどが語られています。これらの物語を十分楽しむとともに、 ご自身の民と契約をし律法を授ける神、そのもとで生きる民について学ぶことができ ると思います。これはイスラエルの民にとって「聖なる歴史」であると共に、わたし たち新約の教会にとっても、神と人間の関係を知る根本資料、生きた神からの語りか けです。この日本の中で小集団として安住しているわたしたちの教会は、「エジプト の肉鍋」に沈み込んでいる集団になっていないか、平和への道を知らないこの21世 紀の世界は、どこに向かって栄光への脱出をはからねばならないか、三位一体におい て歴史の中で働く生きた神の声を、この書から聞き取ることができるでしょう。 さて、この書のはじめは、飢饉によってヤコブとともにイスラエルから逃れてエジ プトに行ったイスラエルの民が、エジプトで増え広がっていったこと、そして、ヨセ フのことを知らない王があらわれると、脅威と危機を感じた王によって未曾有の苦難 の時が訪れたことを伝えています。このイスラエルの民の抑圧と苦難、ここに独特の 神学的問題が潜んでいます。イスラエルの民が「おびただしく数を増し、ますます強 くなる」のは、神の祝福の約束の成就です。創造のときアダムに約束され、アブラハ ムが呼び出されて祝福の基となると約束されたことの内容は、祝福の民が増え広がっ ていくというものでした。神の祝福が、ここで暗転して抑圧と苦難を招いているので す。神の祝福はそのように永続的ではなく、限界のあるものなのでしょうか、この問 いは、わたしたちの中からも出てくる日常的な問いです。神との生きた関係なしの祝 福は、それ自体は祝福ではないこと、苦難を通して新しい神の関係へと呼び出してく ださる神の導きがあることを教えられます。