11月7日
2004年11月7日

「神に届く叫び、モーセの召命」

出エジプト記2:23-3-6;使徒言行録9:1-9


 『モーセ柴の編』とよばれるモーセの召命の物語は、天の情景と地上の情景と、二

つの情景によって、ついに神がイスラエルのために立ち上がられたことを伝えていま

す。天の情景では、「長い年月がたって・・・労働のゆえに助けを求める叫び声は神

に届いた」と記されています。モーセがエジプトにいるイスラエルの解放者として立

つまで40年、挫折してミデヤンに逃れて40年、神に向かって叫ぶしか希望のない

ところまで追い詰められた民の様子が伝えられています。「神はその嘆きを聞き、ア

ブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、

御心に留められた。」神は聞かれる。神は見られる。神は御心に留められる。そのよ

うな神の働きのうちで、「神は契約を思い起こされる」、それが神がイスラエルのた

めに行動を起こされる起点になっていることは注目すべきことです。神は人間の窮状

を知っておられます。遠くから見て、それを知っているだけでなく、救うために立ち

上がらなければならない理由を神ご自身のうちに持っておられると知るのはなんと幸

いなことでしょう。それが「神は契約を思い起こされた」ということです。

 地上の情景では、神の山ホレブで羊飼いモーセが燃えているのに燃え尽きない柴に

気づいて不思議に思い。「道をそれて」近づいてきたモーセが神に語りかける情景で

す。日常の生活の中に突然入り込んできた非日常的なもの。モーセの場合は、柴は燃

えているのに木は燃え尽きないという自然の不思議、そして、主の使いが現れたとい

う幻の不思議、この非日常的なもの、帰るべき所を持たない寄留者モーセを神の用へ

と呼び出す決定的な呼びかけの時となりました。そのような時は、神の呼びかけの時、

神が備えてくださったときであるのは、モーセに限りません。しかし、大切なことは、

ここで神は、自然や幻視の中であいまいな存在として現れたのではなく、「モーセよ、

モーセよ」と名を呼んで、モーセの全人格を呼び出している、と気づくことです。主

なる神は、ご自身を主イエス・キリストにおいてあらわしてくださるだけでなく、わ

たしたちの名を呼んで、自分の名において生きてきたすべてをご自身の前に呼び出さ

れるのです。

 さて、この物語を聞いたわたしたちは、天の情景と地上の情景と二つの情景を知ら

されて、神が救いを実現させられるその仕方を理解しました。このような二つの情景

を伝えることができるのは、いったい誰なのかを不思議に思いませんか


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