12月5日
2004年12月5日

「神の杖」

出エジプト記4:1-9;マタイによる福音書10:5-15


 モーセの召命の物語を通して、主なる神はわたしたちをどのように主の御用のため

に呼び出されるかを学んでいます。それは主との深い対話の中で起こることを、この

物語は実によく示しています。モーセほど口答えし、ためらい、決然と従わない人は

珍しいですが、そのためらい方と主なる神の対応が、わたしたちの状況を照らしてい

ます。

 「それでも彼らは『主がお前に現れるはずはない』と言って信用せず、わたしの言

うことを聞かないでしょう」とモーセが逆らって言うのに対して、三つのしるしを示

して、このしるしをもって、イスラエルの人々のもとに、またエジプト王のもとに行

くようにといわれます。主がモーセの手で行われた「しるし」、杖を地に投げるとへ

びに変わり、またその尾を取ると杖に戻る奇跡、手を胸に差し入れ出してみると雪の

ように白くなってレプラに変わり、また胸に入れると癒されていた奇跡、ナイル川の

水を乾いた地に注ぐと血に変わる奇跡、これらは、『こうすれば、彼らの先祖の神、

アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる』と、

モーセが神からの人であることを担保するしるしです。しかし、これらのしるしは、

後でどのような結果になったかを知ると、不思議です。たとえば、主の杖は、羊飼い

モーセがいつも手に持っていた日用の道具で、これが主が共におられる時不思議な大

きな働きをすることを教えられ、エジプト脱出の解放劇の中で重要な小道具になりま

す。しかし、杖がへびに変わることは、モーセにとってとびあがるほど驚く奇跡でし

たが、それくらいのことはエジプトの魔術師たちもやれましたし、ファラオに対して

たいしたインパクトを与えていないのです。神はなぜ、このような一時しのぎのしる

しをモーセに与えられたのでしょうか。これは、しるしに頼ろうとするモーセに対す

る神の『適合・妥協』(accomodation)と理解することができると思い

ます。決定的なことは、自分の手でどのような奇跡(しるし)を行うことができるか

ではなく、神が共におられ、神の語れと告げられたことだけ語ることであるはずです

が、そのことが真にモーセの確信となるまで、神はモーセの弱さに合わせて、必要と

思う装備を備えられるのです。しるしは、人々の前で主の御用を権威をもって果たす

ことができるようになるための、一時的なものに過ぎません。


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