出エジプト記4:14-17,27-31;使徒言行録11:19-26
「主はついにモーセに向かって怒りを発して言われた。『あなたにはレビ人アロン という兄弟がいるではないか』」 エジプトにいる奴隷の民イスラエルの苦しみ叫ぶ声を聞いて、下っていってかナン の地に導き上ろうとする神の救済のみ手が動き始めようとする時、その計画ははじめ からエンジントラブルを起こしそうになっています。肝心のモーセが動こうとしない のです。神の呼び出しに対して、『わたしが、わたしが』と自分の弱さにこだわり、 『その上、その上』と動かない理由を並べ立てているのです。とうとう神はモーセに 向かって怒りを発せられました。とんでもない恐ろしい事態になってしまったのです。 ここで何もかもがおしまいになってしまったのか。そうではありません。神は忍耐強 く、憐れみ深い方です。エジプトにいる兄弟アロンを助け手として備えてくださって いるのです。モーセの3歳年上の兄。モーセはアロンに出会い、アロンがモーセから 聞いた神の言葉を民に語り、モーセと共にエジプト王のもとに出かけて一緒に交渉に あたり、イスラエルの民を率いてエジプトを脱出して荒れ野の旅をします。祭司の務 めを果たすものとして、子々孫々重要な働きをするアロンは、このとき主に召しださ れて神の救済計画に参画することになるのです。 ここで一つの議論があります。アロンの呼び出しは、モーセのためらいと逡巡の結 果としての『第二次案』あるいは『暫定措置』なのか、それとも世の初めより定めら れた『恒久計画』に基づくものなのか、ということです。確かに、出エジプト全体を 見ると、アロンの役割は二次的な働きしかしていません。肝心の時に、神の声に忠実 でない時もあります。しかし、アロンの役割は、ただモーセの暫定的な補助者という のでなはく、アロンに与えられている特別の役割があることに気づかされます。アロ ンはモーセとイスラエルの民との間に立つものとしてなくてはならない働きをしてい るのです。神が人をご自身の用のために呼び出されるのは、単線構造ではなく、複線 構造、平面構造ではなく立体構造だということに気づかされるとき、わたしたちも、 主の用に呼び出されるときのことを思い起こすことができますし、そこで大いなる慰 めを得ることができます。アロンは、もう既にモーセに会いに荒れ野に向かって歩き 出しています。だから、やるべきことはわかっているが、自分の祈りや願いは無力で 何もできない、と『わたしに』執着する必要はありません。共に課題を担って労苦す る仲間を、主が用意してくださっているのです。共に働くことができる人、そのよう に神に召されている人がいるのです。