4月13日
1997年4月13日

「この人もアブラハムの子なのだから」

ルカによる福音書19章1−10


 ザアカイという人物が主イエスに出会って救われたという話、一体救いとは何で

しょう。「今日救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから」とイ

エスは語られました。どのような意味でザアカイは救われたのでしょうか。

 ザアカイはとても複雑な、何重にも鎧を着た人物だったと思います。エリコの取

税人の長は、一方で罪人・遊女と並び称され、忌み嫌われますが、他方でロ−マの

権力を背景にしていますから、だれも逆らえない力を持ち、権力の中枢にも通じて

いたでしょう。巨大な財力を持った陰の帝王と考える方が実像に近いとおもわれま

す。不思議なことにこの人がイエスを一目みてみたいと思ったのです。ザアカイは

病気を癒やしていただくためにイエスの所に来た人とは違います。神の国を求めて

純粋な気持ちでイエスに従っている人とも違います。この、この世の裏も面も知っ

たザアカイの中に起こった奇妙な願い、おおよそ自分とは対極にあると思われるイ

エスになにか心惹かれているのです。それも非常に強いものです。背が低いので群

衆に遮られたとみるや、先に走っていっていちじく桑の木にのぼってそこから見よ

うとしたのですから。「御霊の隠れたひそやかな働き」はこのようなザアカイの心

にも働いて、自分でもよくわからないような行動にでているのです。

 「ザアカイ。急いで降りてきなさい。今日あなたの家に泊まらなければならない」

突然下を通るイエスが始めてみる自分に、「ザアカイ」と呼びかけられた驚きはど

んなであったでしょう。それ以上に、「今日、あなたの家に泊まらなければならな

い」という激しい強要。これは実に強い口調です。ザアカイの家に「泊まる」とい

うことは、武装を解くこと、相手の意のままになることです。ザアカイのような人

物に対して自分をやわらげたらどんなことになるのか、その不安を群衆のつぶやき

が代表しています。しかしイエスは、今日はザアカイの家にぜひ泊まらなければな

らないと語っているのです。

 ザアカイは喜んでイエスをお迎えし、自分の財産の半分を貧しい人に施すとか、

不正な取り立てをしていたら四倍にして返すとか言っています。自分の所に来てく

ださったイエスと一緒に自分の生活を顧みると、今まで見えなかった暗さが目立っ

て、居ても立ってもいられなかったのでしょう。それが新しい生き方へと促します。

主イエスと共にいる所に回復があり、救いがあります。

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