2月6日
2005年2月6日

「系図の神学」

出エジプト記6:14-27;ペトロの手紙一2:9-11


 イスラエルの民をエジプトから導き出す壮大な物語のはじまりのところで、突然モー

セとアロンの系図がでてきてわたしたちを驚かせます。聖書には時々このような系図が

出てきますが、それを丁寧に読んで、深い感動を覚えた、という人は少ないでしょう。

たいていは読み飛ばして、物語のほうに向かってゆきます。

系図を興味深く読むコツは、これを一種の楽譜のようなもの、と考えることです。音楽

は時間の芸術で絵画のように空間の芸術とは違います。時間の流れと共にその美しさが

わたしたちの心に響いてきます。それは空間的な形に表すことができませんから、楽譜

という記号で表し、その記号を実際の音の流れに再現して初めて音楽になるのです。そ

れと同じように、系図には沢山の名前が出てきますが、その一つ一つの名前は楽譜のよ

うなもので、それぞれに独特の味わいのある人生が記号化されて表されているのです。

その名前のあらわす響きが再現されたら、神と人間のかかわりの歴史が一貫したひとま

とまりのものとしてわたしたちの耳に響いてくることでしょう。物語は、絵画のように

わたしたちの目の前に神と人とのかかわりの歴史を繰り広げてくれます。それと同じよ

うに、系図は音楽のようにわたしたちの耳に神の恵みの歴史の壮大な広がりを響かせて

くれるのです。

 さて、この出エジプト記のモーセとアロンの系図ですが、これはずいぶん偏った系図

であることにすぐに気づくと思います。エジプトに移住したヤコブの12人の息子たち

のうち、ルベン、シメオン、レビの3人の息子の名前だけがでてきて、中心的な働きを

したはずのヨセフやヤコブの名前はありません。また、3人の名前のうちレビの子孫だ

け、レビのうちでもケハトだけ、ケハトの子孫のうちアムラムの子孫だけ、という具合

です。そして、アムラムの子供アロンとモーセのうち、アロンの子孫だけの系図が記さ

れています。出エジプトの中心的指導者モーセの系図は何も記されていないのです。要

するにこれは、モーセとアロンの系図をイスラエルの歴史の中に定位させるための系図

ではなく、後世のアロン家の祭司たちが自分たちの氏族の存在を確認するための系図で

あるということです。ですから、この系図を読む場合の中心線は、レビからアムラムま

では何年生きたかを記されている人、(レビ137年、ケハト133年、アムラム13

7年)、それ以後は女性の名前が出ている人物(アムラムの妻は叔母のヨケベト、アロ

ンの妻はアミナダブの娘エリシャバ、エルアザルの妻はプチィエルの娘の一人、という

具合に)を辿ればよいということになります。ここには偉大な人物の連なりはありませ

ん。しかし、神の救いの歴史は、この一人一人のつながりの中で、確実にその全体像を

響き渡らせているのです。


秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る