出エジプト記8:12〜15;ルカによる福音書11:14〜23
主なる神がエジプトにいる奴隷の民イスラエルを解放するために伸ばされた手の第三 弾は、「地の塵をアロンの杖で打つと、ぶよに変わり、エジプトの全治にぶよが湧き出 て、人と家畜を襲う」という災いでした。“ぶよ”をあらわす“キンニム”という語は “しらみ”とも”蛆虫”とも解されますが、古いギリシャ語訳以来“ぶゆ”と受け取ら れています。ナイル川の流域では秋の時期に、蚊の大量発生を見ることがあるそうです が、大量発生したぶよが人と家畜を襲うという光景は、想像しただけでもうっとうしく なります。人間の社会の中に不正義と不公正があるとき、その災いは、人間の社会だけ でなく、神が創造された世界全体に及び、混乱と混沌が全地を覆うという考え方は、旧 約の預言者の中にも、また、律法に貫いています。 「この国には、誠実さも慈しみも、神を知ることもないからだ。呪い、欺き、人殺し、 盗み、姦淫がはびこり、流血に流血が続いている。それゆえ、この地は渇き、そこに住 むものは皆、衰え果て、野の獣も、空の鳥も、海の魚までも一掃される」(ホセア4: 1−3)。とホセアはイスラエルの人々を告発します。「地が渇く」のは、人間社会の中 にある罪のゆえです。それゆえ、自然の災害に遭遇する時、「今こそ心からわたしに立 ち帰り、断食し、衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け」(ヨエル2:12)と 勧めるのです。このようなものの見方、心の傾け方は、人間の知識や小技術によって地 球環境を危機に陥れてしまっている現在でこそ、改めて学ばなければならないことでし ょう。 この第三の災いで興味深いことは、ここで、これまでアロンの杖と同じような不思議 を行ったエジプトの魔術師たちが「これは神の指の働きでございます」と自らの限界を告 白し、魔術競争から撤退していることです。これでファラオのかたくなさの後ろ盾とな っている者がなくなったわけですが、大量発生した蛙の死骸から“ぶよ”が湧き出るの は、魔術を使わなくても自然の成り行きで、ここでエジプトの魔術師が撤退するのは不 思議です。魔術師たちが「彼らの秘術を用いてもできなかった」のは、彼らの心に生じ たなるものでなければ、空しいのです。