出エジプト記12:1〜20; ルカによる福音書19:13〜16
出エジプト記は、11章まで、イスラエルの民を去らせるようにとモーセとアロンがフ ァラオと交渉する場面が描かれ、心をかたくなにしてその要求に答えようとしなかった エジプトに多くの災害が及んだことを伝えています。12章からは最後の災い,エジプト 中の初子の死とエジプトからの脱出の物語が始まります。この物語は、過越祭の祝い方 と組み合わされて語られていますので、物語だけを追うものにはわずらわしい感じがし ます。イスラエルの人々にとって、出エジプトの出来事は、毎年行われる過越祭を通し て、絶えず新しく思い起こすべき神の救いの出来事、共同体が共同体として存立する根 源的な出来事でしたから、過越祭の食事の仕方について詳細に語る必要があったのでし ょう。過越祭の食事を、いつ、誰と、どのようにするのか、なぜ、そのようにするのか について、この詳細に分け入ることによって、主イエス・キリストによる贖いと救いの 原型が、この祭りの考え方の随所に現れていることに気づかされます。 「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。・・・家族ごとに小羊 を用意しなさい。・・イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を 取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼 いて食べる・・・。」 過越祭は羊を取って食べるという遊牧民の習慣とつながりのある食事と、たねなしの パンを食べる(除酵祭)という農耕民の習慣につながる食事との組み合わせになってい て、その起源には諸説ありますが、旧約の民にとっては、これは、小羊の血が塗られた 家を、滅ぼす者、真夜中を歩まれる主が過ぎ越した、それによってエジプトの地から脱 出することになり、奴隷の家から解放された出来事として、常におぼえられたのです。 その出来事が正月、一年の初めを画します。そして、その出来事をおぼえるのは、それ ぞれの家族で構成された全イスラエルです。その食事に参加するもの、すなわち、小羊 の血によって初子の死を免れ、滅ぼすものが過ぎ去っていった、あの経験を共有するも のが家族、ということになるのです。家族の絆を、血のつながりや財産の継承などより、 主の救いの経験を共有していることにこそ置くべきだとしているのです。これは、大い なる代償を払った上での救いの出来事を祝う祭りです。