出エジプト記18:13-27;エフェソの信徒への手紙4:7-16
イスラエルの共同体が共同体として大きく成長する出来事が描かれています。モーセ のしゅうと、ミデアンの祭司エトロの助言に従って、モーセだけが朝から晩まで民の訴 えを聞くのではなく、民の中から選ばれた千人隊長、百人隊長、50人隊長、100人 隊長によって訴えが取り上げられ、モーセは民が歩むべき道、行うべきことを指し示し、 最も重要な問題だけに関わることとなったのです。独裁的な社会に窓が開いています。 朝から晩まで民の訴えを聴き裁きをするモーセ、一日中待ち続ける民衆、これを見て エトロは、「あなたのしていることは良くない」と直言します。モーセはどうしてこの ような非効率な事態に没頭しているのでしょう。モーセとて、分割統治の原則を知らな いはずはありません。にもかかわらず、自分一人が民の訴えを聞かなければならないと 思い込んだのは、なぜか。その仕事は神にかかわること、神の意志を正しく伝える重要 なことと認識したからでしょう。神によって導き出され、神によって数々の奇跡を通し て荒れ野を旅してきた共同体であれば、神の意志に従った秩序が保たれなければならな い。神の意志を正しく聞くことは誰にでもできない、特別な霊の賜物を要する。それ故 に、自分でなければ・・・、このような思考回路に陥っている時、自分自身は疲れ果て てはいても、どこかに充実と満足を覚えていて、一日中待ち続けている人の疲れや苛立 ちに思いを向けることはなかったのではないでしょうか。エトロは、見事にこのモーセ の思い上がりを衝いています。「あなたのやり方は良くない。」これは当然の観察で、 ここには神学も信仰も要しません。しかし、紅海を二つにわけ、天からマナを降らせた 男に、このような忠告をすることができたのはなぜか、それは、エトロがモーセのこと を「神の人」としてみるより、「人の子」としてみる目が備わっていたからでしょう。 数々の奇跡も、主がなされたことだと見る透徹した目。霊の賜物は分有されるという確 信。ここには、エトロのただならぬ神学と信仰がいきづいています。モーセもまた,未 だなお、成熟と成長に向かって学ばなければならない人として、砂漠の旅は続きます。