11月6日
2005年11月6日

「契約する神 聖なる国民」

出エジプト記19:1-9;ペテロの手紙2:9-12


 出エジプト記19章から、神の山ホレブで神から律法をいただき新しく契約が結ばれ

るところになります。20章には十戒が示されます。モーセがエジプトにいるときファ

ラオと息詰まる対決をして、ついに奴隷の家から脱出することができましたが、そのと

きファラオに要求してついに勝ち取ったのは、「イスラエルの神・主がわたしの民を去

らせて荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい、と言われましたので、その言葉に

従わせてください」ということでした。奴隷状態からの解放、約束の地への帰還が要求

の中心ではなく、礼拝をさせてください、と言うことがエジプト脱出の主目的だったの

です。今、荒れ野のシナイ山に面して宿営し、主に仕えるとき、礼拝の時を持っていま

す。興味深いことに、シナイでの礼拝は、羊や牛のはんさいをささげる礼拝が中心では

なく、言葉をもって語りかけてくださる主との交わりの礼拝になっています。見えざる

神に対する一方的な人間の行為としての礼拝ではなく、言葉と戒めを示して、神の側か

らわたしたちを呼び出し、働きかけてくださることから始まる礼拝です。わたしたちが

今主イエス・キリストの名のもとにおこなう礼拝と、基本的に同じです。

 ユダヤの人々は旧約聖書の創世記から申命記までの最初の五書のことを「トーラー」

と呼んで聖書の最も重要で基本的な部分だと考えています。トーラーとは「律法」の意

味です。モーセ五書の中でも、出エジプト記19章以降に始めて実際の律法が出てきま

すから、ここからが本体と言うことになります。しかし、フレットハイムが指摘してい

るように、「旧約聖書のもっとも際立った特徴の一つは、それが物語によって囲い込ま

れている点である」ことに注目して、これからの律法の学びを進めてゆくことは大切だ

と思います。律法の書に物語が出てくるのは煩瑣な感じがしますし、逆に物語の中に細

かな戒めが出てくると物語の興味が損なわれる感じがします。あえて、このような体裁

で律法の書が記されているところに旧約聖書の独特の主張があるのです。神の法が、現

実に歴史の中で働いてくださる神の導きに対する応答の仕方として示されるのです。


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