12月11日
2005年12月11日

「ねたむ神」

出エジプト記20:1-21


 この世界を暗闇から光へと、混沌と無秩序から正義と公正が洪水のよう流れる世界へ

と変えてゆく道、それは、十戒の戒めに示されています。その第二と第三の教えは、神

の像を造ってはならない、それを礼拝してはならない、神の名を空しい目的のために用

いてはならないです。これらの戒めには、「わたしは妬む神であって、激しい怒りが下

る」との警告があります。

 神の像を造り、神の名をみだりに用いることが、どうしてこれほどの激しい神の怒り

を引き起こすことになるのでしょう。カルヴァンは「人間の心はやむことのない偶像の

製造工場」といいます。たしかに、わたしたちは、単に被造物にすぎないもの、目の前

にある大いなるもの、力あるもの、恐るべきものを神として崇め、それに仕える傾向を

持っています。この教えが戒めているのは、物言わぬ木や石で造られた偶像が神として

崇められる愚かさを笑うことではなく、被造物である人間が神のかたちや働かれる場所

を規定し、限定し、人間が好む形や場所で神に仕えることにたいして激しく「否!」と

いうのです。ものに過ぎない神々に仕え、かたちや場所を規定することによって、いつ

のまにか、わたしたちが物となり、かたく動かない石の心に変えられ、形にはめられた

ものにされてゆきます。「わたしはあなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導

き出した神」、「わたしはいつもあなたと共にいる」と語ってくださる神、主イエス・

キリストにおいてご自身を現される神、その神との生きた交わりの中にいるものが、そ

の神を無視し、その神と並んで、その神を勝手に動かないものに固定して生きた交わり

を壊してはならないのです。

 偶像を造り出す精神に対して,「わたしは妬む神である」と主は語られます。新共同

訳聖書は「熱情の神」と訳していますが、言葉の激しさを表すために、あえて「妬む神」

とするほうがリアルになります。浮気をしている妻に対して激しく怒る夫の思いに似た

感情、激しく燃える心、それが偶像を造る人間に対して向けられる神の心です。この言

葉ほど人格的な交わりを表す言葉はないでしょう。よそよそいい形ばかりの関係では、

妬む、燃えるなどという感情は起こりようもないからです。神はこのように生きた人格

的な交わりを、私たちと持っておられるゆえに、神を動かないものにし、無用に用いて

はならないのです。


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