出エジプト記20:1-21
この世界を暗闇から光へと、混沌と無秩序から正義と公正が洪水のよう流れる世界へ と変えてゆく道、それは、十戒の戒めに示されています。その第二と第三の教えは、神 の像を造ってはならない、それを礼拝してはならない、神の名を空しい目的のために用 いてはならないです。これらの戒めには、「わたしは妬む神であって、激しい怒りが下 る」との警告があります。 神の像を造り、神の名をみだりに用いることが、どうしてこれほどの激しい神の怒り を引き起こすことになるのでしょう。カルヴァンは「人間の心はやむことのない偶像の 製造工場」といいます。たしかに、わたしたちは、単に被造物にすぎないもの、目の前 にある大いなるもの、力あるもの、恐るべきものを神として崇め、それに仕える傾向を 持っています。この教えが戒めているのは、物言わぬ木や石で造られた偶像が神として 崇められる愚かさを笑うことではなく、被造物である人間が神のかたちや働かれる場所 を規定し、限定し、人間が好む形や場所で神に仕えることにたいして激しく「否!」と いうのです。ものに過ぎない神々に仕え、かたちや場所を規定することによって、いつ のまにか、わたしたちが物となり、かたく動かない石の心に変えられ、形にはめられた ものにされてゆきます。「わたしはあなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導 き出した神」、「わたしはいつもあなたと共にいる」と語ってくださる神、主イエス・ キリストにおいてご自身を現される神、その神との生きた交わりの中にいるものが、そ の神を無視し、その神と並んで、その神を勝手に動かないものに固定して生きた交わり を壊してはならないのです。 偶像を造り出す精神に対して,「わたしは妬む神である」と主は語られます。新共同 訳聖書は「熱情の神」と訳していますが、言葉の激しさを表すために、あえて「妬む神」 とするほうがリアルになります。浮気をしている妻に対して激しく怒る夫の思いに似た 感情、激しく燃える心、それが偶像を造る人間に対して向けられる神の心です。この言 葉ほど人格的な交わりを表す言葉はないでしょう。よそよそいい形ばかりの関係では、 妬む、燃えるなどという感情は起こりようもないからです。神はこのように生きた人格 的な交わりを、私たちと持っておられるゆえに、神を動かないものにし、無用に用いて はならないのです。