12月18日
2005年12月18日

「安息日を覚えて聖とせよ」

出エジプト記20:1-21;ヘブライの信徒への手紙4:1-11 


 モーセの十戒の第4は安息日に関するものです。十の戒めのうち、この戒めと次の

「父母を敬え」だけが否定形ではなく、肯定形です。再び奴隷への道に迷いこむことな

く、真の自由にいたる生命線、命の道を示している教えのうち、他の8つの道は停止信

号で進行が阻まれているのに対し、この戒めは青信号、この道を歩む者は必ず自由があ

ると教えています。

 それにしても、不思議な教えです。世界中の賢者が集まって、「人として真の幸福と

自由にいたるためになくてはならない教えを十にまとめよ」との課題と取り組んだとし

たら、この教えは出てこないでしょう。「殺してはならない」、とか「盗んではならな

い」などの教えは人間の社会生活の中から自然に出てくるでしょうが、7日ごとに一日

を休み、その日は、人も家畜も仕事をしてはならないとの教えを絶対的なこととする考

えは出てこないでしょう。しかも、不思議なことに、現代、神のない世界でも、最も喜

んで受け入れられている教えはこの第4戒なのです。キリスト教は日曜日、ユダヤ教は

土曜日、イスラム教は金曜日、7日ごとに休みの日とし、礼拝の日としていますが、宗

教と関係なく、みんな1週間のサイクルで生活しています。

 なぜそうしなければならないのか、その理由づけがまたとても不思議です。出エジプ

ト記の十戒では、神が6日間で天と地を創造し、7日目は休まれたから、という理由、

申命記の十戒ではエジプトの地で奴隷であった時のことを思い起こすため、という理由を

あげています。7日ごとに一日を休むことの理由に神の創造の日々をあげるこのアナロ

ジーは、わたしたちの想像を絶します。何億年を単位とする神の一日と24時間のこの

地球の一日を並列させるのですから。しかし、ここに安息日の神秘があります。それは、

この地上で生きるすべてのもの、人も家畜も、木も草も、始めがあり、終わりがある。

時間の中に生きている存在です。その時間の支配者は人ではなく神であって、神のみ思

いの中ではじまり終わる、そのことを安息日は思い起こす日なのです。それだけでなく、

その日は仕事を停止して、神が造られた天と地を見て「はなはだ良い」と満足された、

神の平和、神の調和に心を合わせる日なのです。この日を持たない休みのない仕事は、

結局、破壊でしかありません。


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