エフェソの信徒への手紙1章17−19
エフェソの人たちのための取りなしの祈り。キリストの神、栄光の父が知恵と啓 示の霊をあたえて神を深く知り心の目を開いてくださるようにと願って、次の三つ のことを悟りうるように願いもとめています。1.神の招きによってどのような希 望が与えられているか。2.聖なる者たちが受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に 輝いているか。3.わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力がどれほ ど大きいか、です。希望と豊かさと神の力、霊によって心の目が開けると、これま で見えなかった独特の希望と富と力を次第に知るようになるというのです。 人が人生において求めてやまないもの、苦難や空しさ、批判や妨害を乗り越えて 力強く大胆に喜びと充実を持って生きて行くことができるエネルギーはこの三つの ものが豊かに与えられているときです。希望、豊かさ、力、これがなくなると風船 がしぼんだようになってしまいます。若者は若者の、老人は老人の希望と豊かさと 力があるでしょう。わたしたちはどのような希望に生かされているでしょうか。ど のような豊かさに包まれているでしょうか。どのような力を求めているでしょうか。 エフェソの手紙では、「あなた方は以前には・・・この世の中で希望も持たず神 を知らずに生きてきました」と別のところで言っています。それが、神の招きによ って一つの希望にあずかれるようにと招かれることになったのです。その希望は、 艱難をも喜ぶという希望、艱難が忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出すこ とを知っており、希望は失望に終わることがないのです。なぜなら、神の愛が聖霊 によってわたしたちの心に注がれているからです。わたしたちがまだ不信心であっ たとき、罪人のためにキリストが命を捨ててくださることによって示された神の愛 が・・・(ローマ5.1−8)。信仰は希望を明らかにし、希望は愛によって確証 されます。キリストを信じ、キリストのものとされた信仰者が受け継ぐ豊かさや力 もこの希望と愛から出てくるものに他なりません。 希望、豊かさ、力、この世のものも求めてやまないこれらのものは、すべてキリ ストにあってその贖いを通して与えられる愛によって上から与えられるもの、招か れて導き入れられるものです。心の目が開かれなければ見えないものです。ですか ら、わたしたちは祈り求めなければなりません。秋山牧師の説教集インデックスへ戻る