出エジプト記20:12 エフェソ 6:1〜3
モーセの十戒の第五の教えは、「あなたの父、あなたの母を敬いなさい。そうすれば、 あなたの神、主が与えられる地に長く生きることができる」です。これまで神に対す る人間のあり方が教えられていたのに対し、ここから、人間と人間との関係のあり方 で、律法の第二の板の部分になります。しかし、「敬う」と訳されているヒブル語は 「重くする」と言う意味で、これは神に対して「尊ぶ」とか「礼拝する」というとき に使われる言葉ですから、この教えは第1の板に属すると考えるべきだと言う人もい ます。また、10の教えの中で、すぐ前の安息日の教えとこの教えだけが否定形では なく積極的な教えになっています。そして、この二つはこの地上を生きる人間が時間 の中でどのように生きるべきかを教えているのです。7日ごとに1日を休むこと、そ して、世代から世代にわたって長く生きる道が示されています。 父と母を敬うことは、どの社会の中にもあるきわめてありふれた教えです。東洋の 文化でも人倫道徳の基本として、祖先を敬うことや「孝」の思想はよく発達しました から、現在の社会は、それらの大切な心が失われたと言って嘆いたりします。しかし、 奴隷の家から導き出された神の民が真の自由な者として生きる共同体を形成するため に神から与えられた十戒の中心のところに、どうしてこの教えがあるのでしょう。こ の教えは、「そうすれば、あなたの神主が与えられる地に長く生きることができる」 と約束を伴う教えです。ここでは、地上に長く生きるために、勤勉に働いて生産に励 み財を築くこと、健康に気をつけること、子どもの教育に心を用いて次の世代を育て ることなどより、父と母を敬うことが肝心のことと教えるのですから、常識的なこと を教えていると言うより意表をつく教えではないででしょうか。ここで言われている 「あなたの父と母」は、幼い子どもの父と母というより、むしろ老年になった父と母、 すなわち社会的な有用性と権威から遠くなった存在としての父と母です。社会的には 軽くなった父と母とを重く扱うようにと教えているのです。 自由とされた神の民が、自由と愛と公正が行き渡る平和の民として形成されるため に、高齢者が疎外され孤独を感じ、無用の者と見なされてはならないという戒め、そ うでないと、地上で絶えるという警告、これは、古い、遠い教えではなく、わたした ちの教会の課題として与えられていることです。