出エジプト記20:13-17 ヨハネによる福音書12:20-26
モーセの十戒の第6戒からは短く「あなたは〜してはならない」と言う言葉が続き ます。これによって、神によって造られた人間が自由に生き、神の民が形成されるた めの絶対必要条件が示され、従うことが求められます。第6戒「あなたは殺してはな らない」は、一般的な人倫道徳を説いているのではありません。「あなたは」とこの 戒めを聞くわたしに直接語りかける言葉です。わたしは人を殺すことなど全く考えた こともない、この戒めは、わたしには無関係と考えているかもしれない「わたし」に、 語りかけています。 「殺す」ということば、これは戦争で人を殺すことや羊など家畜を殺すというときに は使われない言葉です。意図的に、あるいは意図しないで人に傷害を与え、命を奪う ことになるような行為をさします。この戒めの心は、「人の命はどんな場合にも勝手 に処理してはならない」ということで、暴力や殺人だけでなく、隣人に対して障害と なることを禁じているのです。主イエスは山上の説教の中で、人を殺すと言う外面に 現れた行為だけでなく、「兄弟に対して腹を立てる者」や「兄弟にばか者と言うもの」 についても、禁じています。心の中に起こるそのような思いにまで拡大しています。 また、「隣人を愛し、敵を憎め」と言う戒めには、「敵を愛し、迫害する者のために 祈れ」と言う戒めに置き換えています。ということは、この教えの基礎にあるのは、 「あらゆる生命が神に属していること、人間は神の形に造られた者として生きること を神は求めておられる」ということです。 イスラエルの民がエジプトにいた時、その命はまことに軽く扱われていました。生 まれたばかりの男の子は殺されなければなりませんでした。人々の労働は自らを豊か にするものではなく、重労働の叫びは天にまで届いたのです。軽く扱われた命は、自 分をかぎりなく無価値な者、恥ずべき者、意味のないものと見なし、その目で他者の 命を見るようになります。暴力や殺人が蔓延し、その荒廃から生じる叫びが「天にま で届く」ということでしょう。このような荒廃から救い出された神は、獲得した自由 の境界を二つの文字によって守り支えています。「殺すな」という戒めは「人を生か すこと」、「自分自身のように隣人を愛する」という広い領域に向って生きるように と促します。身体的、精神的、霊的だといわれます。そのすべての領域で他者が生き るように努めるのです。