1月15日
2006年1月15日

「殺してはならない」

出エジプト記20:13-17 ヨハネによる福音書12:20-26


 モーセの十戒の第6戒からは短く「あなたは〜してはならない」と言う言葉が続き

ます。これによって、神によって造られた人間が自由に生き、神の民が形成されるた

めの絶対必要条件が示され、従うことが求められます。第6戒「あなたは殺してはな

らない」は、一般的な人倫道徳を説いているのではありません。「あなたは」とこの

戒めを聞くわたしに直接語りかける言葉です。わたしは人を殺すことなど全く考えた

こともない、この戒めは、わたしには無関係と考えているかもしれない「わたし」に、

語りかけています。

「殺す」ということば、これは戦争で人を殺すことや羊など家畜を殺すというときに

は使われない言葉です。意図的に、あるいは意図しないで人に傷害を与え、命を奪う

ことになるような行為をさします。この戒めの心は、「人の命はどんな場合にも勝手

に処理してはならない」ということで、暴力や殺人だけでなく、隣人に対して障害と

なることを禁じているのです。主イエスは山上の説教の中で、人を殺すと言う外面に

現れた行為だけでなく、「兄弟に対して腹を立てる者」や「兄弟にばか者と言うもの」

についても、禁じています。心の中に起こるそのような思いにまで拡大しています。

また、「隣人を愛し、敵を憎め」と言う戒めには、「敵を愛し、迫害する者のために

祈れ」と言う戒めに置き換えています。ということは、この教えの基礎にあるのは、

「あらゆる生命が神に属していること、人間は神の形に造られた者として生きること

を神は求めておられる」ということです。

 イスラエルの民がエジプトにいた時、その命はまことに軽く扱われていました。生

まれたばかりの男の子は殺されなければなりませんでした。人々の労働は自らを豊か

にするものではなく、重労働の叫びは天にまで届いたのです。軽く扱われた命は、自

分をかぎりなく無価値な者、恥ずべき者、意味のないものと見なし、その目で他者の

命を見るようになります。暴力や殺人が蔓延し、その荒廃から生じる叫びが「天にま

で届く」ということでしょう。このような荒廃から救い出された神は、獲得した自由

の境界を二つの文字によって守り支えています。「殺すな」という戒めは「人を生か

すこと」、「自分自身のように隣人を愛する」という広い領域に向って生きるように

と促します。身体的、精神的、霊的だといわれます。そのすべての領域で他者が生き

るように努めるのです。



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