1月22日
2006年1月22日

「姦淫してはならない」

出エジプト記20:12-17 マタイによる福音書5:27-32


 第7戒、「あなたは姦淫してはならない」という教えは、ヒブル語では二文字だけ

です。この二文字で、神によって与えられた自由から再び奴隷へと転落し、世界を崩

壊させることにならないように守り防いでいます。この教えは、隣人の結婚関係を壊

してはならないということで、共同体の中の最も基本的な関係である夫婦の関係、家

庭を重んじなければならないことを教えています。従って、人間の性欲、あるいは異

性に対する情熱を罪としているのではありません。神によって与えられた約束の地カ

ナンのきわめて緩やかな性関係が蔓延している世界の中で、聖書が伝える性の倫理は

きわめて厳しく、これを侵すものは死をもって罰せられることになっていますが、そ

れでも、多くの逸脱のエピソードに欠けることはありません。

 この戒めの精神は,主イエスのこの戒めについてのコメントによって最も深く言い

表されています。「みだらな思いで他人の妻を見るものは、誰でも、すでに心の中で

その女を犯したのである」(マタイ5:27)「神が結び合わせてくださったものを、

人は離してはならない」(マタイ10:1〜12)。結婚の関係は男性、女性の情欲

の結合、利害の結合、好みの結合を根源とするものではなく、創造者の決意と意志に

よるもの、「姦淫は」それを壊そうとするもので、人間が犯し、介入しようとする誘

惑や促しは断固排除されるべきだ、というのです。人間の欲望に流された宗教が偶像

礼拝、人間の欲望に流された性の関係は姦淫です。旧約聖書では偶像礼拝がよく「姦

淫」にたとえられています。これらが蔓延するところでは預言者ホセヤが語るとおり、

「それゆえこの地は渇き、そこに住む者は衰え果て、野の獣も空の鳥も海の魚までも

一掃される(ホセヤ4:3)と言うことになります。

 性の衝動は生きることへの強い衝動です。性は生を生み出します。そこから、育て

ること、成長すること、一個の人格として自立することなど人間の営みが展開します。

それゆえ、最も人間の自由と神の自由とが衝突する場にもなります。この人間の生産

活動の根源について、神は性と生が混沌に陥ることのないように、気ままな関係に身

をゆだねるのではなく、結婚の関係を重んじるように限界を設けられたのです。性の

乱用、家庭をめぐる問題、離婚、子育て、思春期の子供の非行、逸脱、など、この戒

めを聞くことから道が見えてきます。


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