出エジプト記20:12-17 マタイによる福音書5:27-32
第7戒、「あなたは姦淫してはならない」という教えは、ヒブル語では二文字だけ です。この二文字で、神によって与えられた自由から再び奴隷へと転落し、世界を崩 壊させることにならないように守り防いでいます。この教えは、隣人の結婚関係を壊 してはならないということで、共同体の中の最も基本的な関係である夫婦の関係、家 庭を重んじなければならないことを教えています。従って、人間の性欲、あるいは異 性に対する情熱を罪としているのではありません。神によって与えられた約束の地カ ナンのきわめて緩やかな性関係が蔓延している世界の中で、聖書が伝える性の倫理は きわめて厳しく、これを侵すものは死をもって罰せられることになっていますが、そ れでも、多くの逸脱のエピソードに欠けることはありません。 この戒めの精神は,主イエスのこの戒めについてのコメントによって最も深く言い 表されています。「みだらな思いで他人の妻を見るものは、誰でも、すでに心の中で その女を犯したのである」(マタイ5:27)「神が結び合わせてくださったものを、 人は離してはならない」(マタイ10:1〜12)。結婚の関係は男性、女性の情欲 の結合、利害の結合、好みの結合を根源とするものではなく、創造者の決意と意志に よるもの、「姦淫は」それを壊そうとするもので、人間が犯し、介入しようとする誘 惑や促しは断固排除されるべきだ、というのです。人間の欲望に流された宗教が偶像 礼拝、人間の欲望に流された性の関係は姦淫です。旧約聖書では偶像礼拝がよく「姦 淫」にたとえられています。これらが蔓延するところでは預言者ホセヤが語るとおり、 「それゆえこの地は渇き、そこに住む者は衰え果て、野の獣も空の鳥も海の魚までも 一掃される(ホセヤ4:3)と言うことになります。 性の衝動は生きることへの強い衝動です。性は生を生み出します。そこから、育て ること、成長すること、一個の人格として自立することなど人間の営みが展開します。 それゆえ、最も人間の自由と神の自由とが衝突する場にもなります。この人間の生産 活動の根源について、神は性と生が混沌に陥ることのないように、気ままな関係に身 をゆだねるのではなく、結婚の関係を重んじるように限界を設けられたのです。性の 乱用、家庭をめぐる問題、離婚、子育て、思春期の子供の非行、逸脱、など、この戒 めを聞くことから道が見えてきます。