出エジプト記20:12-21 マタイによる福音書6:16-34
第8戒、「盗んではならない」は、誘拐してなならないと理解すべきだとの強力な 意見があります。十戒に違反した罪はすべて死をもって償わなければなりませんが、 盗みに対しては科料で済まされます。誘拐に対しては死刑になっています。しかし、 十戒をイスラエルの共同体がまことの自由を獲得するための道筋として理解する時、 この戒めがカバーしている領域は何かを考えると、ここでは「盗む」と言う行為全般 が禁じられているととるべきでしょう。盗みは殺人、姦淫、偶像礼拝などとともに悪 のリストに必ずあげられます。「盗む」と言う言葉は、羊や牛などの隣人の所有する ものを奪うだけでなく、神の像を盗む場合や王を奪う時に使われることもあり、要す るに、隣人が生きるために大切にしている生活領域と労苦によって得た果実を奪い取 ること全般にかかわることです。「盗み」は人間の尊厳と働きに攻撃を加えること、 すなわち、神が一人一人の人間に与えた生きるべき場所と関係、働きの果実を確保し つつ自由に生きることを侵すことです。この戒めがイスラエルの社会の中でどのよう に機能したかを見ると、それは、主として、靴一足の値段で貧しい人を売り飛ばすよ うな富める者の財産権を守るためというより、貧しい者、寄留者や孤児や寡婦などの 権利を守るために用いられていることが分かります。そう考えると、この戒めがカバ ーしている領域がどれほど現在のわたしたちと深い関係があるかを理解することがで きます。 主イエスは、この第8戒の世界をどのように生きられたのかと考えると、不思議な パラドクスに出会います。天に宝を蓄えることを求め、永遠の命を受け継ぐためには、 盗まないことを超えて、「持っている者を売り払い貧しい人に施しなさい、そしてわ たしに従ってきなさい」と言われるのです。天の父が与えてくださっている命の場を 隣人のために確保すると共に、回復するために、ご自分の命を与えてくださるのです。 「すべてのものを与えしすえ、死のほか何も報いられで」と歌われるように。