3月12日
2006年3月12日

「神 の 山 に 登 る 」

出エジプト記24:9-18 マタイによる福音書17:1-8


 神から十戒をはじめとする教えと戒めをいただいたイスラエルの民は、神からの戒

めに従い、神との生きた交わりに生きることを誓約し、契約する二つの礼拝を持った

ことを学びました。この後、神は教えを刻んだ板を与えるために再びモーセを山に登

るよう命じます。40日40夜、栄光に輝く雲の中でモーセと神との交わりが続くのです。

そこで、神との会見の幕屋についての規定や幕屋の中で行われる祭儀に必要な装備、

祭司の服装、はんさいの規定が詳しく告げられます。「幕屋」は礼拝の場であり、神

との交わりはどのように行われるべきかの枠組みが記されていますが、ここに記され

ていることは、私たちにとってはまさに異文化の世界の話で、そこから生きた神のこ

とばを聞き取ることは難しいでしょう。ただ、ここに記されている礼拝の仕方を良く

見ると、「契約の箱」という神からの教えを納める箱が中心になって聖所を構成し、

すべての装具はポータブル(持ち運び可能)になっています。十戒の教えがそうである

ように、この礼拝の場は、地上を旅する民が神のことばを聞き、神に祈り、神に従う

交わりを持つためのものなのです。そこから、わたしたちの礼拝のあり方の原型が何

かを深く教えられます。

 主がモーセを山に呼び寄せた時、「教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」

と語られました。ここで与えられる石の板は、イスラエルの共同体全体が守り行うべ

きことについて記された教えであるならば、それは「あなたがた」に与えられるべきも

のではないでしょうか。何ゆえに「単独者・モーセ」に与える、と主は言われるのでし

ょう。モーセは神からの教えをひとりで聞いて、それをひとりで受けて、全員に伝え

知らされることによって、イスラエルの民が神との契約を結ぶ民となるのです。神の

ことばを聞き、応答して生きる基本構造がここによく示されています。民全体が神の

ことばを聞き、聞いていた人がそれぞれ責任を分かち持つ、ということにはなってい

ないのです。一人一人が神との直接の関係において教えと戒めを聞き、聞き従うべき

応答責任を負うのです。モーセは一人で「あなた」に授けるといわれた石の板をいただ

き、「全体」に知らせます。聞いた一人一人は「全体」の隠れ蓑の中で責任が分散す

るのではありません。「わたし」に与えられたことばとして聞き、応答し、伝えるとい

う責任を負います。神のことばの伝達形式はこのようです。


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