3月19日
2006年3月19日

「金 の 子 牛」

出エジプト記32:1-14 コリントの信徒への手紙T1:18-25


 イスラエルの全歴史を通じて最も有名な罪の物語、シナイ山のふもとで「金の子牛」

を造って拝んだ話を、わたしたちはどのように聞いたらいいのでしょう。哀れな罪人

をさばく立場で見るべきか、罪の典型として教訓とするべきか。いや、これは、わた

したちがどのような罪を犯し得るか、どのように神が与えてくださる自由を踏み越え

て自ら滅びをもたらしているか、わたしたちに目覚めを促し、悔い改めをせまること

ばとして聞くべきでしょう。

 40日40夜、モーセは山の上に行ったまま帰ってこない。不安に駆られたイスラ

エルの民は、アロンに向っていいます。「さあ、われわれに先立って進む神々を造っ

てください。エジプトの国からわれわれを導き上ったあのモーセはどうなっているか

分からないからです。」彼らは何を求めているのでしょう。彼らは確かに神を信じて

いるのです。神を必要としている者たちです。しかし、彼らの不安に応え、彼らの目

的遂行のための道具である神々を信じているだけで、まさに、「彼らの神はその腹」と

いうべき信仰です。イスラエルの歴史を顧みると、ソロモン王の没後、南北に王国が

分裂した時、北王国の王ヤロブアム1世は、王国の民が再び自分から離れてゆくのを

恐れて、金の子牛2頭を造りべテルとダンにおいてこれを人々に拝ませたことがあり

ました。その時のことば、「見よ、これがあなたをエジプトの国から導き出した神だ」
。

これは、シナイ山のふもとの歴史の再現です。人間は飽くことなくこの種の罪を犯す

ものだということを教えています。「わたしのほか何ものも神としてはならない」と

いう第1戒のいましめはこのようにして、人間の不安、人間の欲望、人間の野心遂行、

政治目的のために犯されます。

 人々のこのような要求に答えて、人々から耳輪を掠め取り、鋳型を作って金の子牛

像を造ったアロンは、どうしてこのような罪に加担することになったのでしょう。モ

ーセの最も近くにいたアロン。紅海を分け、火の柱、雲の柱によって導き、マナをも

って養ってくださった「生きて働く神」の祭司アロンは、人々の思い描くイメージに

迎合して子牛の形に神の像を刻んだのです。「刻んだ像を造ってはならない」との第

2戒を犯しているのです。このようにして、共々に、主なる神が「わたし」と「あな

た」の関係に入れてくださった「生きた交わりの関係」を死んだ「物」の関係に変え

てしまったのです。


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