5月14日
2006年5月14日

「偶然でない命」

エレミヤ書17:5-8 マルコによる福音者9:42-50


 「あなたは偶然ではない。あなたが生まれたのは、間違いだったのでも、ちょっと

した失敗の結果でも、自然のいたずらでもない。あなたの両親があなたの人生を計画

したのではなく、神があなたの命を計画されたのだ。…あなたが母親の胎にみごもら

れるよりはるか前に、神のみ思いの中で、あなたはみごもられたのだ。」これは、ア

メリカの牧師リック・ウォーレンのことばですが、わたしたちの命の根源を、両親に

置くよりもっと深いところに置かなければ、人が共に過ごすことができない危うさを

実感させられる昨今です。

 主イエスは、「自分自身のうちに塩を持ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさ

い」と語っておられます。この謎のことばのときあかし。「塩」は「人はみな火で塩

味をつけられる」と、そして、「火」は「地獄の火」、なぞは深まるばかりです。こ

こで、語ろうとしておられることは、「わたしを信じるこれらの小さい者を一人でも

つまずかせる者」に対する警告です。小さい者をつまずかせ、罪を犯させ、誤った道

に導く者は、地獄の火が襲いかかる、と警告しておられるのです。主イエスの言葉は、

普段優しさに満ちています。罪あるもの、重荷を負うもの、病を負う者、いと小さき

者への共感と愛は、わたしたちの心を打ち、和らげます。しかし、いと小さき者をつ

まずかせる者には、「大きな石臼を首に掛けられて海に投げ込まれるほうがはるかに

よい」とか、手や足や目がつまずきを与えるなら、片方の手や足や目を取り去っても、

片手、片足、片目で命に入る方がよい、などと、驚くほどの激しさです。それほどに、

いと小さき者への激しい愛をあらわしておられるのです。「自分自身のうちに、塩を

持つ」と言うことは、このような主イエスの心、いと小さき者をつまずかせることに

対する激しい恐れをもつ、ということになります。

 何ゆえに、「地獄の火の恐れ」を持たなければ、互いに平和に過ごせないのでしょ

うか。人間の心について主イエスは何を見ておられるのでしょう。この言葉が語られ

たすぐ前のところでは、自分たちのうちで誰が一番偉いかを弟子たちが議論している

光景が記されています。人が互いに平和に過ごすことができなくなる最大の要因、い

と小さき者が軽んじられる状況が、主の弟子たちの間にも浸透していることを示して

います。神のみ思いのうちにみごもられた命が、一人一人、生き抜くために、主イエ

スは地獄の火を持ち出して激しく戦っています。その火は誰が担ったのか。


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