申命記6:1-9 マルコによる福音書1:9-11
ペンテコステの礼拝で、激しい音と共に不思議な風が吹いてきて、聖霊が注がれ、 教会が始まったことを学びました。不思議な風、聖霊は今も働いていて、子どもたち も大人もここに集め、一緒に礼拝をする不思議な働きをしています。不思議な風がた だの風でないことは、その風が吹いてくるのを感じると、決まって、わたしたちの心 は神さまのほうに向き直り、イエス・キリストの心を感じ、深い愛が注がれているこ とに気づき、その愛をみんなと一緒に分かち合わずにおれなくなります。不思議な風 は、イエスさまの心を、大人にも子どもにも、わたしたちのところに運んでくださる 風です。 その風が、イエスさまにも注がれて、そこから神の国をのべ伝える働きがはじまっ たと、マルコによる福音書は伝えています。イエス・キリストの福音の始まりはどこ からかを知ることは重要なことです。ここで世界は二つに分かれます。古い時代と新 しい時代、罪と死に支配される時と命と霊の法則に生きるときがこのときに分かれる のです。その時の始まりを、主イエスはどこで、だれと共に、どのように始められた のか、その時の分かれ目を、マルコによる福音書は他の福音書とは違って、主イエス の洗礼の時から始めています。 荒れ野でらくだの毛衣を着、皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べて暮らしていた異 様な風体のヨハネ、そのヨハネの叫ぶ声に人々は耳を傾けます。ヨルダン川のほとり で、神のさばきが近いことを伝えたのです。それを聞いて心を向き変えて罪を告白し 悔い改める人々に、バプテスマを施しました。主イエスは、このヨハネのところに行 き、罪を悔い改める人々の群れに加わり、主イエスご自身もバプテスマを受けて、罪 を悔い改める人々の仲間になられたのです。そのとき、主イエスは、「天が開けて、 聖霊が鳩のように天から降ってくるのをご覧になった。そして、『これはわたしの愛 する子、わたしの心にかなう者』という声を聞かれた」と記されています。不思議な 風、聖霊は、天の父のことばを運びます。荒れ野で、罪人の群れに加わる主イエス、 罪を告白しバプテスマを受ける主イエスを、「愛する子、心に適うもの」として、天 の父はその始まりを祝されます。罪人と共にある主イエスの歩みはその死にいたるま で貫かれます。聖霊は、わたしたちの心に主イエスをもたらし、わたしたちも、主と 共に『アバ父よ』と祈るのです。