19980607
1998年6月7日

「生まれながらの怒りの子」

エフェソの信徒への手紙2章1−3


 「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この

世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も

働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。」

 ここではこれ以上に不躾に「あなた方」について語る言葉はないと思われるほど

激しい言葉が語られています。後では同じように罪の奴隷となって悲惨な様であっ

た「わたしたち」のことも語られます。こうして、「あなたがた」も「わたしたち」

も自分の力や行いによって救われたのではなく、ただキリストによって示された神

の恵によって、救われたことが明らかにされます。洗礼のときに確認した信仰の基

本の出来事です。

 「あなたがたは罪と過ちで死んでいた」と語られるとき、その罪の根源が自分自

身の中にあるのではなく、「時代」、「空気」、「霊」に動かされて罪と過ちに陥

っていたと指摘していることが注目すべきところです。それらは目に見えないもの

であり、しかし何か不気味に動くものであることを感じることができるものですが、

しかしその実体を捉えることは難しく、だれも責任をとりようもないものです。そ

れらのものの虜になって「過ちと罪のために死んでいった」という事態を作り出し

ていたというのですこのような謎のような言葉によって、わたしたちが罪の支配下

にある事態がどれほど根源的に、また包括的にわたしたちを支配しているかを表し

ています。そして意外に言葉や情報に踊らされている現在のわたしたちの状況をリ

アルに描いているものといえるでしょう。「わたしは動かされることのないしっか

りとした生き方をしている」と考えている人ほど時代と空気と霊に動かされてただ

よっている人であるかも知れません。あとでこれを「悪魔」という表現で言い表し

ています。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身につけ

なさい」というように・・・。

 時代や空気がわたしたちに罪を犯させるなら空気をすわなければいい、というこ

とでは済みません。吸わないわけには行かないからです。従ってわたしたちの救い

も、死から命へと復活させてくださるキリストの空気、聖霊の風がわたしたちの中

に吹き込まれ、それを吸って生きるのでなければなりません。キリストとともに命

を与え、キリストとともに復活させ、キリストともに天の座につかせてくださる神

の恵がその風とともにわたしたちのうちと外を覆うからです。

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