6月8日
1997年6月8日

「和解の使者」

コリントの信徒への手紙二5章11−21


 日曜学校の子どもたちとの合同礼拝、家族そろっての礼拝で、今日、大人も子ど

もも、キリストの十字架の下に集められた人たちが一緒に聞かなければならない神

からの言葉、聞いて生きるときに本当に生きることになる神からのメッセ−ジ。

「和解の使者となりなさい」。

 神戸で土師淳君という小学校六年生の男の子が無惨に殺され、頭だけが切り離さ

れて中学校の校門におかれていました。気味の悪い社会に対する挑戦状が届けられ

ました。子どもの親たちは、「大人を信じてはいけない」、「見知らぬ人に話かけ

られても返事をしてはいけない」と自分の子どもに教えなければならないような社

会。親でさえ、子どもを虐待してしまう自分を抑えることができない人が多くいる

時代。大人と子どもとの戦争の時代です。わたしたちの見えないところに、暗い、

傷ついた、病んだ心が潜んでいて、いつもどこかで警戒していなければならない社

会に生きているわたしたちに、主は「和解の使者になりなさい」と命じます。大人

にも子どもにも、キリストの十字架の下に集まっている人には特別な使命があると

教えるのです。

 和解は仲直りすること、敵対して疎遠になっていた交わりが回復すること、怒り

や憎しみが十分に償われて、もとのように自由な気分で語り合えるようになること

です。神と人との間で、人と人との間で、和解が告げられなければなりません。キ

リストの十字架の下に招かれた人は、なぜこのような時代に、自分を守るだけで精

いっぱいの子どもにも大人にも、こんな難しい実行不可能のように見えることを命

じられるのでしょう。

 「神はキリストによって、世をご自分に和解させ、人々の罪の責任を問うことな

く、和解の言葉をゆだねてくださった。・・・一人の方がすべての人のために死ん

でくださった。その目的は、生きている人がもはや自分自身のために生きるのでは

なく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」

一人の人の死がわたしたちをじっとしてはいられないように駆り立てます。主イエ

ス・キリストの死は、わたしたちを怒りと、憎しみと、戦争に駆り立てるのではな

く、和解の言葉を告げることに駆り立てます。そこには愛があります。わたしたち

の罪を赦してくださる愛が、そして、すべての人の罪のために死んでくださった愛

が。わたしたちをご自分の大切な使者として用いてくださる愛が。全権を委ねてく

ださる愛が・・・。その愛がわたしたちを駆り立てます。

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