民数記 12:9-16;ヘブライ人への手紙 3:7-19
ミリアムとアロンがモーセに対して非難と攻撃を始めて、荒れ野の旅が立ち往生した とき、主なる神は迅速に行動され、非難をしたミリアムに対して罰を下されます。 「ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた」というのです。私た ちはこのことをどう考えるべきなのでしょう。罪と罰、神のさばきについて、自分の まわりに起こる不幸な出来事をみて、これを簡単に神の罰とか呪いと結びつけること は正しいことではありません。神のさばきについて勝手な思い込みは禁物です。しか し、何らかの意味で、出来事の背後に主の御旨が働いているとすれば、その趣旨の捉 え方は、特に旧約の学びを通して深められることです。 ミリアムに与えられた神のさばきは「重い皮膚病」(ツアーラート:この語の訳に ついてはさまざまな議論があります)。これは共同体との交わりを断たれる病です。 ミリアムの罪とこの罰には関連がありそうです。ミリアムはモーセに与えられた特別 な上からの権威上からのもの、霊的なものと人間的なもの、下からのものと混同した のです。ミリアムはいま、同質的な共同体の交わりの中に入れない病の現実を経験さ せられます。上からのもの、霊的なものへのおそれと敬いを軽視し、謙遜を忘れると き、上から下される罰は、それによって単に苦痛を与えるだけでなく、目を開かせ、 自らの愚かさに気付かせ、これによって共同体が癒されると言う結果をもたらしてい ます。さばきが治癒になっているのです。 同じ罪を犯し、罰を受けなかったアロンは、ここでどうしたか。罪を告白し、愚か さを認め、癒しを求めてモーセにとりなしを懇願したのは病にかかったミリアムでは なくアロンでした。モーセは神に懇願します。「神よ、どうか彼女を癒してください。」 これらの人間の振る舞いは味わうに足ります。罪とさばきの連鎖の中で、それが真の 癒しと回復になってゆく正当な道筋が示されているからです。