9月3日
2006年9月3日

「カ ナ ン 偵 察 」

民数記 13:1-33;ルカによる福音書 14:25-33


 イスラエルの民の旅は、約束の地、乳と蜜との流れるカナンに到達しました。ここ

でモーセは民の代表を部族ごとに12名選んで、これから征服する地の偵察に遣わし

ます。これが歴史の転換点になります。エジプトの奴隷の家から解放され大いなる自

由への歩みをたどってきたイスラエルの民は、ここで主の祝福された約束の地を受け

取ることができず、40年に及ぶ荒れ野の旅を続けなければならなくなった大いなる

停滞、迷妄、そして訓練の歴史が始まるのです。

「偵察」と訳されている言葉は英語ではspy out、これは単なる視察や調査、

ましてや観光ではありません。これから征服すべき土地についての危険な秘密の旅。

しかし、主の約束の実現に向かって大きな責任が負わされています。このとき偵察隊

に加えられると言うことはどういうことであるのか、この人たちは「遣わされた人た

ち」すなわち「使徒」です。わたしたちのその一員になった気持ちで思いをめぐらす

と物語のリアリティーは一層深まるでしょう。この世におけるキリスト者の役割とも

重なるところがあります。モーセは彼らが偵察してくるべき事柄を詳しく指示します。

その土地の住民の様子、強そうか弱そうか、要塞都市になっているかテント暮らしか、

肥沃な土地かやせているか、木や作物は実っているか、彼らが調べなければならい項

目は多岐にわたります。しかし、ただ目の前にある現実だけを見てくるだけでは足り

ません。その心に旅の間中鳴り響いていた主の言葉、「あなたがたを苦しみのエジプ

トから、カナン人、ヘト人、・・・の住む、乳と蜜の流れる地に導き上ろうと決意し

た」という約束を確かに聞いていなければなりません。その土地は確かに、約束どお

りまさに豊穣の地でした。ぶどうひと房を二人で担がなければなければならないほど

に。しかし、まさにこの豊かさが約束実現のつまずきとなりました。見るべき視点が

定まっていなかったのです。


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