民数記 13:1-33;ルカによる福音書 14:25-33
イスラエルの民の旅は、約束の地、乳と蜜との流れるカナンに到達しました。ここ でモーセは民の代表を部族ごとに12名選んで、これから征服する地の偵察に遣わし ます。これが歴史の転換点になります。エジプトの奴隷の家から解放され大いなる自 由への歩みをたどってきたイスラエルの民は、ここで主の祝福された約束の地を受け 取ることができず、40年に及ぶ荒れ野の旅を続けなければならなくなった大いなる 停滞、迷妄、そして訓練の歴史が始まるのです。 「偵察」と訳されている言葉は英語ではspy out、これは単なる視察や調査、 ましてや観光ではありません。これから征服すべき土地についての危険な秘密の旅。 しかし、主の約束の実現に向かって大きな責任が負わされています。このとき偵察隊 に加えられると言うことはどういうことであるのか、この人たちは「遣わされた人た ち」すなわち「使徒」です。わたしたちのその一員になった気持ちで思いをめぐらす と物語のリアリティーは一層深まるでしょう。この世におけるキリスト者の役割とも 重なるところがあります。モーセは彼らが偵察してくるべき事柄を詳しく指示します。 その土地の住民の様子、強そうか弱そうか、要塞都市になっているかテント暮らしか、 肥沃な土地かやせているか、木や作物は実っているか、彼らが調べなければならい項 目は多岐にわたります。しかし、ただ目の前にある現実だけを見てくるだけでは足り ません。その心に旅の間中鳴り響いていた主の言葉、「あなたがたを苦しみのエジプ トから、カナン人、ヘト人、・・・の住む、乳と蜜の流れる地に導き上ろうと決意し た」という約束を確かに聞いていなければなりません。その土地は確かに、約束どお りまさに豊穣の地でした。ぶどうひと房を二人で担がなければなければならないほど に。しかし、まさにこの豊かさが約束実現のつまずきとなりました。見るべき視点が 定まっていなかったのです。