11月12日
2006年11月12日

「主が聖とされる者は誰か」

民数記16:1-15;ローマの信徒への手紙12:3-10


 歴史の変動期は、人間のうちにあるあらゆる欲望や罪をあらわにします。出エジプ

トの歴史において、約束の地を目前にして荒れ野へと逆戻りした時もそうでした。モ

ーセとアロンに対する深刻な反乱が起こったのです。レビの氏族のコラ、ルベンの氏

族のダタンとアビラム、またオンとが「集会の招集者である共同体の指導者250名

の名のある人々を仲間に引き入れ、モーセに反逆した」というのです。ルベン族は

12部族の長子、コラはモーセやアロンと同族ですから、ねたみから生じていると言

えそうですが、反乱の理由は2つに分かれています。ダタンとアビブの反抗は、モー

セの指導力、権威に対する不信に根ざしています。「あなたは我々を乳と蜜との流れ

る土地から導き上って・・・」と、まったく反対のことを言っています。「奴隷の家

から導き上って・・・」ではないのです。「あなたは導き上・・・あなたは与えてく

れない」と、自分たちの行為を棚に上げて、責任転嫁をしています。これらの人々の

非難のまなざしの中で、モーセの孤独はどんなに深かったでしょう。十字架上の主の

孤独に通じます。

 レビ人コラの反乱の理由はもっと深刻です。モーセとアロンに託された神の民を導

く務め、その権威と聖性に対する根源的な疑問が投げかけられているからです。「あ

なたたちは分を超えている。共同体全員が聖なるものであって、主がその中におられ

るのに、なぜあなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか」と。民主主義の原理に

立っています。すべての人に等しく侵すべからざる尊厳性が上から与えられているこ

とが基本的人権を認める根拠ですから、コラはまことに斬新な人権感覚と革命理論で

モーセとアロンの権威に立ち向かっています。モーセは、この訴えに顔を伏せ、「主

のお選びになるものが聖なる者だ」と上からの指示を待ちます。不信仰と罪は、時に

神の言葉を楯にその主張を展開することの実例をここに見ることができます。


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