ゼファニア書3:14-20;ルカによる福音書1:5-25
神の国の到来を告げる救い主の誕生を心から喜び祝うためには、わたしたちも旧約 の民と共に、み言葉によって道備えされなければなりません。ゼファニア書の中にも、 御国の到来を告げる預言の言葉があります。 「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声を上げよ。主はお前に対するさば きを退け、お前の敵を追い払われた。イスラエル王なる主はお前の中におられる」 このような喜びの声を上げるようにと促す言葉の中で、次のように語られるのです。 「主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし。お前のゆえに喜びの歌 をもって楽しまれる。」 ゼファニヤという預言者ほど激しくイスラエルの罪を糾弾し、神の裁きの近いこと を告げた人はまれです。「自分のほかに人はいない」という人間の誇りが、いかに世 界全体を荒廃させたかを語るその口調は、まさに現代の世界を糾弾する言葉のようで す。この罪のもたらす結果は、「わたしは地の面からすべてのものを一掃する」、 「地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる」ことを告げるのです。 ところが、その激しいさばき、滅びの只中に、「苦しめられ、卑しめられた民」 「残りの者」があり、その民に向かって、先の「喜べ、歓喜せよ」のすすめが語りだ されます。そして、「喜べ」と命じられるのは、「主がお前の中におられ、さばきを 退け、...主がお前のゆえに喜んでいる」からだというのです。その中心に「愛に よってお前を新たにし」と言う言葉があります。「新たにする」と言う語は、ヘブル 語原典では「沈黙する」と言う言葉が使われていて、不思議な感じがしますが、大変 深い意味が込められています。愛による沈黙、その沈黙の中で何が行われたか、そこ に主イエス・キリストの全生涯を投入して考えると、驚くべき現実性が現われてきま す。滅びるほかないものが、主の愛の沈黙から喜びの歌に変えられてゆくその主の思 いはからいによって、人間の側にも喜びと歓喜の叫びがあげられることになるのです。