12月31日
2006年12月31日

「東方の学者たち」

イザヤ書61:1-11;マタイによる福音書2:1-12


 アドヴェントからクリスマスにかけて、旧約のメシア預言について学んできました。

それぞれの歴史状況において期待され預言されたメシアの到来が、主イエスの誕生に

よって実現したのは確かですが、その預言と実現の関係は単純なものではないことを

知りました。

 マタイによる福音書が告げる救い主降誕の出来事も、ヨセフへの天使のお告げに続

いて、東の占星術の学者の到来、そして、そのことによるヘロデの動揺、聖家族のエ

ジプト逃避、ベツレヘムの2才以下の子どもの虐殺と、思わぬ展開が伝えられ、それ

が預言の成就だと跡付けられています。マタイは天の声を聞き取った預言者の「預言」

がこの世界の中で「実現」するにいたる悲劇的な間隙をよく知っています。そこには

きわめてリアルな人間の社会の現実が映し出されています。神の言葉が肉体を取って

実現する事態は、そこで語られている神の側からの癒し回復、恵みと真実を、肉なる

世界においては、それをゆがめ、逆転させ、いっそう暗黒をきわだたせることになる

現実があることを伝えているのです。ヘロデ王、そして、エルサレムの人たちは、救

い主が来ることについて長く待ち望み、その到来によって正義と公正が回復し、この

地の貧しいもの、虐げられているものに平安が臨むことを知っていました。メシアが

どこに生まれるかも、何人もの預言者がダビデの家から出ることを預言していました

から、東方の博士たちの問いにすぐに答えることができました。しかし、その知らせ

は彼らを動揺させ、黒い情熱を呼び覚ましたのです。神の救いを告げる言葉がこのよ

うに人間の心の中で暗転する事態は珍しいことではありません。平和への希望が戦争

を生み出し、愛されたい願いが憎しみへと発酵します。しかし、そのような人間の心

のゆえにクリスマスは来なかったのではないのです。そのような肉なる世界であるか

らこそ、そのただなかに、救い主は来られた。このことを告げるのがクリスマスです。

たしかに、天から下った一粒の水滴が空しく再び天に戻ることはないように、主の恵

みの言葉も、むなしくその働きをしないことはない、のです。


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