1月14日
2007年1月14日

「ア ロ ン の 杖 」

民数記17:16-26;コリントの信徒への手紙U4:1-15


 民数記には祭司アロンやレビ族の働きを記した多くの章がありますが、その中に不

思議な物語があります。アロンがモーセと共に人々の上に立ち、荒れ野の旅を導くこ

とに対して、同族のレビ人の中からも、また他の指導者たちの間でも不満と抵抗が起

こったとき、主なる神が起こされた奇跡の物語です。イスラエルの12部族の長がそれ

ぞれの名を記した杖をモーセの前に持って来て、それを契約の箱の前においておいた

ところ、翌朝になって、「レビの家のアロンの杖が芽を吹き、つぼみをつけ、花を咲

かせ、アーモンドの実を結んでいた」というのです。このようなしるしをもって、主

はこの杖をもつ者が主の民の上に立つ者とし、「叛逆した者のために警告のしるしと

し」、民の不平を鎮められたのです。イスラエルの民の中心にあった神殿、その至聖

所の中にあった契約の箱、その中には二枚の十戒を記した石の板とマナの壷とこのア

ロンの杖が入っていましたから、この物語はイスラエルの人々にとって神の臨在を記

し付ける重要な物語であったというべきです。しかし、少し横から見れば、祭司の権

威を裏づけするための創作神話と読めないこともありません。荒れ野の40年に及ぶ旅

で最大の難問は、水や食料、宿営の問題ではなく、旅の集団の指導権をめぐる争い、

権力闘争であったことは前にも学びました。

 モーセやアロンに向かって「あなたたちは分を超えている。共同体全体が聖なるも

のであって、主がその中におられるのに、なぜあなたたちは会衆の上に立とうとする

のか」との仲間の抗議、このような現在の世界にも通用する論理に対して、主なる神

ご自身が備えられた解決の道は、「アーモンドの花をつけ実をつけた杖」というしる

し、これはなかなか味があります。杖は老人の歩行を助ける道具ともなれば、羊飼い

の杖のように、羊を導き、時には身を守る武器にもなります。しかし、アロンの杖の

場合は権威をしるしづけるものです。アロンの杖は、枯れた木の棒に過ぎません。こ

れが生きた目覚めの花と実をつける木に変えられたのです。神の命を吹き込まれた杖

を持つ者が、主の民を一つにし、正しく平和の内に治めるものとなるのです。このよ

うにして主なる神がご自身の権威のあり方を示すのは、聖書の神の本質に根ざしてい

ます。一本の枯れた「のろいの木」、これに御子を釘付けにしてすべての人の罪のあ

がないの供え物とし、これを仰ぐものに救いを告げられる神の配剤が思い起こされま

す。


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