出エジプト記34:29-35 ルカによる福音書 9:28-36
福音書では、主イエスの受難の予告に続いて、山上の変貌の出来事が語られていま す。ペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人を伴って高い山に登り、そこで祈っておられるう ちに「イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」更に、千年も前の旧約聖 書の人物モーセやエリヤが現われて主イエスと語り合い、雲の中から「これはわたし の子、選ばれたもの。これに聞け」ということが聞こえた、と。ここからわたしたち は何を汲み取り、どのように主からの語りかけを聞くか、これは難問です。最も現実 的でない主イエス・キリストの姿、肉体を持った人間としてより、霊の体をもったキ リスト、時空を超えた存在としてのキリストが描かれているのは確かですが、ただ夢 をみているような感じです。 このように、主イエスの栄光の姿を見ることや天からの語りかけを聞く体験は、 Uペトロ1:16以下のように、「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇 るまで、暗いところに輝くともし火としてこの予言の言葉に留意するように」、とい う勧めになるのは理解できますが、あまりに現実から離れていて力にならない気がし ます。ルカによる福音書には、この出来事の深い意味をとらえる独特の手がかりがあ ります。モーセとエリヤとは、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期 について話していた」というのです。人知を超えた高いところ、栄光の輝きの中で主 イエスが旧約の律法を与えたモーセ、預言者の最初の人エリヤと語り合っていたのは、 「人の子は必ず苦しみを受け、殺され、復活する」というエルサレムで成し遂げられる はずの「最期」についてでした(「最期」ということばは「エクソドス」で、出エジプ トの「解放」と「導き」を連想させます)。律法と預言者によって示された神の救い の計画の成就として、十字架の死と復活があることを確認しているのです。主イエス は、人知を超え、時空を超えた神秘の存在として、高いところで、選ばれた人々に礼 拝されるところに留まりません。むしろ、山を降りて、すべての人々の前にご自身の 姿を見せられます。「その有様は、人と異ならず、死に至るまで、しかも、十字架の 死に至るまで従順であられた」姿でした。そこに、神の声を聞くのです。「これに聞 け」と。「悩みと恥にやつれし主」、十字架を負って歩まれる主にです。山の高みで、 神秘のキリストを礼拝することが、この山上の変貌の出来事を知ったわたしたちと主 イエスのとの関わり方ではありません。