イザヤ書56:1-8 ルカによる福音書 23:32-44
「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。われわれは自分のやったこ との報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない。 ・・・イエスよ、あなたの御国においでになるときに、わたしを思い出してください。」 犯罪者の真ん中に主の十字架は立っています。「自分を救え」との大合唱の中に主イ エスはおられます。この世の闇が叫ぶ叫びが鳴り響く雑踏の中、一人別の目でこの事 態を見ている人がいました。この人の深いまなざしによって、わたしたちにも主の十 字架が身近なものとなり、わたしのためのものとなる鍵が与えられます。主イエスの 死の中に自分たちの死との同質性と異質性の両方を見たことによって、彼にはステレ オタイプのものではない、ことの深みと立体構造が見えています。傷の痛み、敗北者 の惨めな死、罪人の死、それはまた彼自身があじわっているものと同じです。彼はキ リストの最も近いところにいます。しかし、彼は、自分の十字架とはまったく異質の、 自分の十字架とは無限に遠いものがイエスの十字架にあることを見抜いています。罪 の結果としての死ではない、正しいものが罪人のために死ぬ死、他者のための死。こ れを見て、神の臨在にふれ、神を恐れなければならないと感じているのです。 まもなく終わる自分の生、何の救いの手も差し出されることなくむなしく死んでゆ く最期に臨んでいるこの犯罪者が、自分と一緒のときを過ごしている主イエスのうち に、終わることのない御国が開かれているの見ています。そこで、「わたしのことを 思い出してください」との不思議なこと願い出ています。そこに最後の望みがあると 洞察したのです。 この犯罪者の最期の願い、希望は単なる虫のいい夢であったのか。いえ、主イエス はこの犯罪者の言葉をしっかり受け止められただけではありません。ただ思い出すだ けではなく、もっと大きな希望を約束されました。「はっきり言っておく。今日、わ たしと一緒にパラダイスにいる」と。