箴言 2:1-15 マタイによる福音書 10:26-31
いのちの豊かさ、その深まりや広がりをどのように大きくして行くことができるか、 生きているものはこの課題といつも直面しています。主イエスが「恐れるな」と語ら れた言葉によって、新しい視野が広がります。「体を殺しても魂を殺すことのできな い者どもを恐れるな・・・あなたがたの髪の毛までも数えられている。だから恐れる な」とかたられます。 主イエスが「恐れるな」と、弟子たちを宣教に遣わすにあたって語られた「恐れ」 とはどのような恐れなのか、また、その「恐れ」はいのちを脅かす恐れであることは 確かですが、そこで「いのち」とはどのようにとらえられているのでしょう。「彼ら を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもの で知らずに済むものはないからである。」謎のような言葉ですが、ここでの「恐れ」 は明らかに「何を食べようか、何を着ようか、何を飲もうか」といった類の生物的な 命を脅かす恐れのようなものではありません。むしろ、福音宣教者、真理を伝える使 命を担う者の恐れで、啓示され明らかにされた真理、それなしには人が生きる道はな い救いを明らかにしている使信が、封じられ、覆い隠され、忘れ去られる「恐れ」で す。信じること、考えることの自由を奪うものに対する恐れです。このような恐れに 対して、主イエスは「恐れるな」と語られるのです。恐れることなく信じ、恐れるこ となく語り伝えよ、と。浅い恐れで深い命のあられを妨げている日常を反省させられ ます。この真理に生きるのでなければ、命の広がりも深まりもなくなります。 誰もが恐れる状況で恐れを克服する秘訣が次に示されます。「恐れなくてもよいも の」と「恐れるべきもの」とを弁別する知識を持てばよい。「体を殺しても魂を殺す ことのできないものを恐れるな。むしろ、からも魂も地獄で滅ぼすことのできる方を 恐れなさい。」わたしたちは、この命の多層性に気づいているはずですが、いつも忘 れています。本当に命の脅威となるものは命の本質を与えてくださった方のまなざし です。しかし、主イエスの言葉は続きます。「二羽のすずめは一アサリオンで売られ ているではないか。だが、その一羽でさえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地 に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも、一本残らず数えられている。だか ら、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」と。