民数記23:19-26 使徒言行録4:5-31
特別な状況の中で、「思い切って大胆に」神の言葉を語らなければならなかった旧 約の預言者バラム。わたしたちからはるかに遠いこの人物が語らなければならなかっ た神の言葉。その置かれた時と場。そのことを思いめぐらしているうちに、バラムは 意外にわたしたちの近いところにいることに気づかされます。 バラムは、モアブ王バラクのためにイスラエルに対して呪いをかけてくれるように 依頼され、その願いにこたえてやってきた預言者でした。しかし、いくら呪いをかけ ようと盛大な祭儀を催しても、バラムの口から出てくる言葉は祝福の言葉ばかり。バ ラムが主から受けた第二回目の託宣では、呪いではなくいよいよはっきり祝福の言葉 が語られます。神から祝福を受けたものを取り消すことはできない。イスラエルのう ちに災いを認めることはできない。「彼らの神主が共にいまして、王として称えられ ている」と。 このように神の言葉をモアブ王に告げる状況、そこにはねじれがあります。彼に期 待されているのは呪いの言葉であって祝福ではありません。もし彼がこの言葉をイス ラエルの中で語ったら、大いに歓迎されたでしょう。しかし、敵対するモアブの中で は、生命が脅かされます。語るべき場所と時がねじれているのです。そのような場所 と時に神の言葉を語るのは賢い人ではありません。まさに愚直な人です。しかし、神 の人バラムの人格と実存は、その場と時に相応しくモアブ王とその国全体が望むこと を語ったとしたら、その存在は根無し草です。本来語るべきところでない時と所であ っても、愚か者と愚弄されても、主が語れと命じたことをそのままに語ることによっ てのみ、バラムの存在の意味と価値は現されるのです。こうしてみると、バラムは、 キリスト者として聖霊を受けて大胆に神の言葉を語るべくこの国に遣わされているわ たしたちの状況をよく理解できる人だと言わなければなりません。彼も愚直な証人と して、ロバに乗って彼の後にやってくる人を待ち望んでいます。