6月10日
2007年6月10日

「 天の門が開かれている 」

創世記28:10- 22 ヨハネによる福音書1:43-51


 目には見えないわたしたちの主の存在を身近に感じることができるのはどうしてな

のでしょう。ヤコブの物語は、ヤコブにとって主との生きた交わりの道がどのように

開いたかをよく物語っています。その道は簡単です。夢の中で神を見、神が語る言葉

を聞いたのです。夢の中だったら、誰だって見えないものも見えるし、普通できない

ことだってできます。でも、夢から醒めると、夢なんてすぐ忘れてしまうし、真剣に

捉えることはしません。でも、神さまは夢を通しても、大切な働きをなさるのです。

 ヤコブが夢を見たのは、自分の家を出て遠く見知らぬところに旅をする途中、ルズ

で野宿しているときのことです。父親の祝福を横取りし、双子の兄エサウを欺いたヤ

コブ。ヤコブの背後にはエサウの激しい怒りと殺意があります。前方には、まだ見た

こともない親戚の家。満天の星の下で、石を枕に眠ります。その眠りは、とうてい安

らかな深い眠りではなかったでしょう。孤独、不安、自責。この世界のどこにもヤコ

ブを笑顔で迎えてくれるところはありません。そのとき夢を見たのです。先端が天に

まで届く階段。天使が上り下りしています。主なる神が彼の傍らに立ってヤコブに告

げました。「わたしは神ヤハウェだ。あなたの祖父アブラハム、あなたの父イサクの

神。わたしはあなたが今寝ているその土地をあなたとあなたの子孫に与える。・・・

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、

必ずこの土地に連れ帰る・・・。」ヤコブは、それまでにも神のことは知っていまし

た。しかし、それは父や祖父の信仰で、彼自身の信仰ではなかったでしょう。しかし、

ヤコブは、人生の行く道を失っていたようなまさにそのときに、主なる神の呼びかけ、

主が共にいること、主の赦し、主の約束に親しくふれることができたのです。「ここ

に天の門がある。ここに神の家がある」との叫び、その感動がわたしたちにも神の家

のありかを指し示しています。


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