6月17日
2007年6月17日

「 倒れ伏し、目を開かれている者の言葉 」

民数記24:14-25 テモテへの手紙二4:1-8


 イスラエルの民の約束成就の旅の行く手はばむモアブ王バラクのために呪いを請け

負った預言者バラムの第4の託宣。バラムの物語を読み進んでゆくうちに、この神の

人バラムのイメージが次第に変わってきました。最初は自分の前に差し出された報酬

のゆえに神の言葉の聞き方にあいまいさを残し、ものを言い始めたロバにさえ戒めら

れるいかがわしい「神の人」。次は、呪いを語ろうとしても祝福の言葉しか出てこな

いので、それだけを語る愚直の人。そして、神からの言葉を語るべき時や場所がねじ

れてしまっている状況で、祝福を語れば語るほどうとまれ、命の危険に陥れられるな

かで、それでも神の言葉だけを語らなければならない「神の人」。神に導かれた民の

中ではなく、あえてモアブで、主の言葉を語るべく召されている、その状況を考えて

ゆくうちに、次第にバラムという預言者に親しみを感じるようになって来ました。そ

してこの第4の託宣では、また新しいバラムのイメージに出会います。旧約聖書で最

初に「メシアの到来」を預言した預言者なのです。

 「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近で

はない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの勺がイスラエルから立ち上がる

・・・」。

 現実にバラムの目の前に繰り広げられている光景は、砂埃にまみれた奴隷の家から

解放されたイスラエル難民の群れに過ぎません。しかし彼には何かその奥にあるもの

が見えています。それは現在と言う時間の枠を超えたその向こうにある何かです。お

ぼろげですが、しかしやがて確かに来る者の輪郭をつかんでいるのです。それだけで

なく、彼の視野は、イスラエルの民、モアブの民だけでなく、中近東から地中海世界

一帯にいたる人間の歴史、将来起こる出来事にまで広がっています。この第4の託宣

のはじめにも、「目の澄んだ者の言葉。・・・倒れ伏し、目を開かれている者の言葉」

と言う印象深い自己紹介の言葉がありますが、まさに、倒れ伏し、目を開かれている

者でなければ見えない視野が広がっているのです。


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