民数記27:1-11 ガラテヤの信徒への手紙4:1-7
約束の地カナンに入る直前、イスラエルの民の中で起こった出来事にわたしたちの 目を注ぐように、と招かれています。 これから入ってゆく土地を部族ごとに分割する話の中で、マナセ族に属するツェロ フハドの娘たちが民の集会の中で、男の兄弟のいない自分たちの家族にも土地の分配 をしてほしいと申し立てがありました。土地や財産は父から息子(長子)に継承される のが習慣であるイスラエルの共同体において、その習慣が作用しない現実が提出され たのです。しかし、この件は簡単に決着がつきます。モーセが主に問い、主の答えは、 その娘たちにも約束の地を受け継がせるように、ということでした。この小さな出来 事は、約束の地の分割と所有が取り上げられるとき必ず繰り返し聖書の中に出てくる ことで、イスラエルの共同体にとって重要な決定であったことが分かります。このよ うに女性の存在が忘れられていないと言うことは、社会経済史的な視点から、また女 性学の視点から見て興味深い出来事ではありますが、ここで指示されていることは、 それだけのことではありません。ツェロフハドの5人の娘たちが主張した内容は不思 議な主張です。「男の子がないからと言って父の名がその氏族の中から削られて良い のでしょうか」と言うことはもっともですが、その前に、「父は荒れ野で死にました・・ 彼は自分の罪のゆえに死にました」とあからさまに語った上で、「わたしたちにも所 有地をください」と主張しているのです。「父は正しい人でした」、「父は苦労して約束 の地にまで旅を続けたのです」と言ったことではなく、荒れ野における父の死の現実 を直視しながら、しかも、約束の地の継承権は女性であるわたしたちにもある、と論 じているのです。このような論拠が成り立つのは、イスラエルの共同体の内に約束の 地を受け継ぐのは神の恵み約束の成就であって、人の功績や力によるものではない、 と言う共通認識があったからでしょう。そこには男女の差別はない、と。だとすると、 土地を受け継ぐということはただ生活基盤である土地だけでなく、真に受け継ぎ、次 に受け渡すべきものは、神の恵みの約束を信頼する心であったはずです。ここには平 等公正の原則以上に、神の恵みの約束に対する生きた感覚を学ぶことが出来ます。