7月1日
2007年7月29日

「 汚された『聖戦』 」

民数記31:1-24 ローマの信徒への手紙12:9-21


 主なる神はモーセに驚くべき命令を下されます。「イスラエルの人々がミディアン

人から受けた仕打ちに報復しなさい」と。命令を受けたモーセは、早速軍隊を編成し

てミディアン人を襲い、男子を皆殺しにし、5人のミディアンの王たちを殺し、町々

を焼き払います。そして、女性と子どもを捕虜にし、すべての家畜や財産、富を略奪

し、戦利品として持ち帰り、凱旋したという出来事。新約では全く出会わないこのよ

うな残酷な皆殺しの記事に驚き戸惑わされます。

 「イスラエルの人々がミディアン人から受けた仕打ち」とは何だったのでしょう。

これは「ペオルの事件」といわれることで、モアブの平野でイスラエルの民がその地

の女たちを交わり、神々の祭りに参加して共に食事をし、神々を礼拝したあの背信の

出来事、このために神が怒り2万4千人が疫病のために死んだことを指しています。

ペオルの事件は、人間の欲望や楽しみを保証し生み出すために必要とされた神々を礼

拝した出来事でした。ミディアン人への戦いはこの根源を絶つための戦いです。さて、

神の命令によって行なわれ、モーセの命によって編成されたイスラエルの民の軍隊は

正しくその戦いの目的を果たしたのか、それが問題です。ここで伝えられていること

は、戦いが神の命令によって始められた戦い、聖なる戦いが、戦いの中でいつの間に

か別の目的、別の思慮に支配される戦いになってしまうという現実です。戦っている

ものたちは、指揮官も兵士も勝利し、街々を焼き払い、捕虜や戦利品を得ることで有

頂天になっているうちに、戦いの目的そのものが変質しているのに気付かないのです。

背信の種を取り除く戦い、勝利に終わった戦いが、実は目的とは離れた、ただ略奪の

ための戦いに終わってしまう、という警告が響いています。このようなメッセージを

聞き取るとき、もちろんわたしたちが「聖戦」などを信じて、これに加担することが

戒められるだけでなく、わたしたちの日々の戦いと称するものの内実はどのようなこ

とになっているかを深く反省させられます。わたしたちのどのような戦いも、

「懺悔・洗礼」なしには的はずれの戦いになるのは確かです。


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