8月12日
2007年8月12日

「 ガドとルベンの人々の申し出 」

民数記32:1-19 ヘブライ人への手紙13:7-16


 約束の地カナンに入ってゆく直前、モアブの地で、いよいよこれから約束の地を得

るために戦列を整え心を一つにしていかなければならないまさにそのときに、イスラ

エルの共同体に走った激震、これまでの労苦を無駄にしてしまうような出来事が起こ

りました。ルベン族とガド族のものがモーセと共同体に「わたしたちにヨルダン川を

渡らせないでください」と申し出たのです。彼らはおびただしい家畜をもっており、

今いるモアブの地や既に征服したバシャンの地は家畜を飼うのに適当な土地でしたか

ら、この地で定着をしたいと考えたからです。これまで共にエジプトを出て40年の

旅をしてきた共同体がここで分裂と崩壊の危機に瀕しています。ガドやルベンの人々

はきわめて合理的且つ現実的な判断をしています。しかし、彼らには共同体全体のこ

とを考える視点は抜け落ちて、自分の氏族だけの生活の安定を求めている身勝手さが

感じられます。いや、もっと問題なのは、彼らはそもそも何故に旅を始めたのか、何

によって導かれてきたのか、自分たちの旅の目的や意味を忘れています。主によって

奴隷の家から解放され、主が約束してくださる土地に向かって旅をしてきたのに、自

分にとって適当と思われるところにとどまってそれ以上主が用意してくださっている

ところには進んでゆこうとしない不信仰が露呈しています。それゆえに共同体に対す

る責任を忘れ、他者の生活のことに無関心になっているのです。この不信仰は、わた

したちのうちにも共有するところがあるのに気づかされます。自己満足の信仰、主が

用意してくださる救いを得る前に自分の満足の中にとどまっている不信仰です。

 この申し出は、モーセが神の激しい憤りを思い起こさせることを通して、ルベンや

ガドの人々を翻意させ、モアブの地で石垣を築いた後、「イスラエルの人々の先頭に

立って進み、イスラエルの人々が嗣業の土地を得るまで家には決して戻りません」と

いう責任ある自覚へと立ちもどることができました。


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