民数記33:50-56 コリントの信徒への手紙U6:14-7:1
イスラエルの民はいよいよこれから約束の地カナンに入ってゆくに当たって、厳か な神からの「土地授与宣言」を聞きます。「あなたたちは土地を得て、そこに住みなさ い。氏族ごとに、くじを引いて、その土地を嗣業として受け継がせなさ」と。すでに 約束されたことですが、いよいよその土地を前にして語られる主の言葉のリアリティ ーはこれまでの比ではなかったでしょう。しかし、土地授与の宣言とともに、「その 土地の住民をすべて追い出し、すべての石像と鋳像を砕き、異教の祭壇をことごとく 破壊しなさい」との命令もこれに付随しています。土地の住民と融和し、平和的な共 存を図るのではなく、暴力的な侵略、破壊、先住民の文化との断絶を命じられるので す。ここに現在に至るまでのパレスチィナ問題の根源を見るような気がします。平和 の主が平和を破る命令を出されるのはなぜか。 カナンの土地を与えるとの主の約束は、いつもこの破壊と断絶の命令と結びついて います。もしそうしなければ「残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さる とげ、脇腹に刺さるいばらとなって、あなたたちが住む土地であなたたちを悩ますで あろう」と。カナン定住後も、イスラエルの民の慕う「高きところー異教の神々」と の融合との戦いは続きます。 しかし、このような排他性、先住文化との断絶命令は、神とイスラエルとの関係の 中で考えれば当然のことです。奴隷の家から解放された神、シナイ山で契約を神結ば れた神、40年の荒れ野の旅を導かれた神は、それぞれ別々の神ではなく一貫して主 なる神であり、カナンの地に入ってその役割を終え、別の神々に引き渡すような神で はないからです。「わたしをおいてほかに神があってはならない」という第1戒の戒 めは、カナンの地に生活するものにとってもその地での真の自由を約束する境界線で す。省みると、わたしたちはその場に相応しい、その時々に力のある神々を求め、 次々に神の像を変えてゆく特性をもっています。荒れ野の生活を支える神から、沃地 の自然の中でよく適合する神と乗り換える、ご都合主義、主なる神はこの誘惑からわ たしたちを守ろうとしておられるのです。