9月16日
2007年9月16日

「 レビ人の町、逃れの町 」

民数記35:1-15 コリントの信徒への手紙U5:16-21


 イスラエルの民は、約束の地カナンに入ってゆく前に、モアブの平野で、カナンの

地を各部族がどのように領有するかをくじで定め、その上で、レビ人に特別の役割を

持たせるよう神に命じられます。レビ人は自分の領地を持つことなく、各部族の中に

散在してレビ人の町を持つようにと主は命じられるのです。レビ部族はモーセやアロ

ンの出身部族で、荒れ野の旅の間は、神の幕屋やその中の聖具を運搬したり、また聖

所の礼拝の歌やささげ物を管理する働きをしていましたが、カナン定住後は別の任務

が与えられたことになります。それと、各部族の中に散在するレビ人の町の中から

「逃れの町」を定めて、誤って人を殺してしまったものが直ちに復讐されることのな

いように逃げ込むところとし、その町を管理する仕事もレビ人に課せられたと記され

ています。現在の社会では考えられない興味深い不思議な制度ですが、そのような制

度によって社会秩序を保とうとした共同体、そのために任務を与えられたレビ人、そ

の配剤のうちにある主なる神の配慮はどのようなことなのでしょうか。

 レビ人について、「見よ、わたしはイスラエルの人々の中からレビ人を取って、イ

スラエルの人々のうちで初めに胎を開くすべての初子の身代わりとする。レビ人はわ

たしのものである」(3:12)と言われています。「主のもの」とされたレビ人は、

時分の領地を持つことなく、主の用に当たらせられます。その働きを想像すると、散

在する町々で、祭司たちと共に、イスラエルの共同体がそれぞれのところで礼拝をす

るようにし、子どもたちを神の民となるべく教育し、民の争いを長老たちと共に律法

にしたがって裁く・・・そのような働きによってイスラエルの共同体を神の民として

つくりあげ、一つにする重要な任務が与えられたと言うことでしょう。レビ人は他の

部族に比べて特別な任務を担うに足る資質があったとは思えませんが、「主のもの」

とされることによって、このような重さが与えられています。ここで、「わたしたち

は主のもの」というハイデルベルグ信仰問答のキリスト者の生きるときも死ぬときも

唯一つの慰めとなることばが思い起こされます。


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