19980712
1998年7月12日

「キリストはわたしたちの平和」

エフェソの信徒への手紙2章14−18


 エフェソの信徒への手紙の中心部分は、「キリストはわたしたちの平和」という事

実を明らかにすることによって構成されています。キリストは平和であると語られる

だけでなく、キリストの和解のみ業によって、具体的にわたしたちの中で実現され、

きのうのも、今日も、そして明日も、福音として告げ知らされるようになったと語ら

れています。

 キリストによってのみ実現され、告げ知らされる平和の意義を、今日の世界ほど必

要とし、また祈り求めなければならない時代はないことをわたしたちは知っています。

東西冷戦の構造が取り払われると、身近なところで、共存していたと思われた民族や

集団の間の対立が露呈して、憎悪と敵意、人間の暴力性がまるで魔物のように人と人

との間に鉄の爪を突き立てています。最も親しい人間の関係であるべき親子や夫婦の

関係が至る所で崩壊の危機に瀕しています。至る所で本当の平和を求める叫びがあり

ます。平和は外面的な何事もない波風の立たない状況ではなく、また何かの強い抑圧

力によって秩序が保たれているという状態を表すのではありません。一人一人の人が

そのもっている生の可能性が完全に満たされ充実させられている状態を表します。従

って平和は正義によってつくり出されるものでなければなりません。正義は法によっ

てつくられます。神の法がすべての人の間で完全に施行され信頼が広がるとき、平和、

シャロームが実現すると預言者は語りました。現在の世界は、まさにこの平和の状況

において病んでいるのです。

 キリストが実現される平和の、その実現方法は全く独特です。「ご自分の肉におい

て、敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。・

・十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼ

されました」。これらの言葉の内容と奥行きに、何よりもキリスト者は、習熟しなけ

ればならないと思います。それは法の限界を乗り越えるものです。「律法によっては

罪の自覚が生じるのみ」、「律法は怒りを招くものであって、律法がなければ違反な

るものもない」というような人間の罪がもたらす限界を超えてもたらされる平和です。

神のキリスト・イエスの十字架の和解の業によって示された愛と、恵みがもたらす平

和です。この平和が恵みとしてではなく律法として語られ、主張されるとき、そこに

は教会を源発とする紛争が起こることに注意を払わなければなりません。
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