エレミヤ書23:1-8 マルコによる福音書1:12-15
「それから霊はイエスを荒野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタ ンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」 マタイやルカにある荒れ野の誘惑の話、ドストエフスキーが「この小さな物語の中 に全聖書のメッセージが込められている」と言ったあの有名な物語は、マルコではた だこれだけの記述です。ここにはサタンの3つの問いと主イエスのそれぞれに対する 答えはありません。しかし、霊によって荒野に「投げ出され」、40日間をそこで過ご しサタンの誘惑に遭われたという基本的な枠組み、しかも、それが主イエスの公生涯 の初めであったことは一致しています。バプテスマのヨハネから「罪の赦しを得させ る悔い改めのバプテスマ」を受ける罪人の列に加わって、ご自身もバプテスマを受け た主は、さらに荒れ野にまで進んでゆかれます。ここに登場するのは「霊」と「サタ ン」と「野獣」と「天使」、現実的な世界のものではありません。「野獣」が出てく るところから、この物語は創造のはじめエデンの園ですべての動物と人間が共存し平 和に暮らしていたアダムとイヴによる失楽園以前の状態に回復することが象徴されて いると解釈する人もいます。しかし、ここで荒れ野が設定されていることは、出エジ プトの民が荒れ野の40年を経て神の民として整えられていった、あの場所から主イ エスの歩みも進められていることを象徴しているようです。ここでサタンの誘惑をは っきりと退けることを通して、主が選び取り働きを展開される神の国、神の支配のあ り方が示されているのです。そこで選び取られた道は、石をパンに変えるような人間 の知識や技術によってではなく、また、高いところから飛び降りる不安や恐れを乗り 越える人間の勇気や志によってでもなく、この世の主に仕えることを通してこの世を 支配する道によってでもなく、ただ主なる神の言葉と思いに深く聞いて従う道、ここ に神の国が開かれ、人間が人間になる道が選び取られています。それはまた、ひとす じに十字架への道にまでつながっています。