1月6日
2008年1月6日

「 清 く な れ 」

レビ記13:29-46 マルコによる福音書1:40-45


 重い皮膚病の人(レプロス)の癒しがガリラヤの町々での主イエスの働きの中で語

られています。レプロスが何を意味するかについて、多くの議論があります。ハンセ

ン病とは区別されるべきだということで「重い皮膚病」と訳されるようになっています

が、旧約聖書以来レプロスは身体的な病であるだけでなく、社会的にも隔離され人々

の前に出るときは口に手を当てて「汚れたものです」と叫びつつ歩かねばならないと律

法に定められていました。何よりも、それは「神の鞭」として神の罰を受けた明らか

なしるしとみなされていました。この人の主イエスに対する求めは注目すべきもので

す。「あなたが願ってくだされば、あなたはわたしを清くすることが出来ます」という

のです。自分の願いをイエスの願にすりかえているような奇妙な願い方です。このよ

うな願い方にまで落とし込んでゆく彼の病との取り組みは、どのようであったか、そ

のプロセスを思いめぐらすことが出来ます。わたしたちの祈りは、窮極的にここまで

に至らなければ、まだ浅瀬でもがいているに過ぎないのでしょう。これに対する主イ

エスの応答もまた劇的です。「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろ

しい、清くなれ』といわれると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」

というのです。レプロスの「あなたが願ってくだされば」という求めに「わたしは願

う」と応じて、病に触れ癒しておられるのです。それは何か霊能者が行うショーのよ

うな癒しと本質的に異なります。マタイがいうように、「彼はわたしたちの患いを負

い、わたしたちの病を負った」という事態です。

 しかし、マルコはこのレプロスの癒しを素晴らしい奇跡として描いていません。こ

のことを伝えてはならないという主の厳しい警告、「主の願い」に対して、今度は癒

されたレプロスはそれに聞き従わず、人々に言い広め、主は町に入ることが出来なく

なった、という方向に話が展開します。そこに神の国をもたらす神の子イエス・キリ

ストのこの世における歩みの不思議、深み、秘密のありかが示されてゆくのです。


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