1月27日
2008年1月27日

「 罪人や徴税人の友 」

サムエル記上2:1-10 マルコによる福音書2:13-17


 主イエスは徴税人レビを「わたしに従ってきなさい」と呼び出されました。この呼

び出しと、これに対して「罪人や徴税人と一緒に食事をしている」と批判するファリ

サイ派の律法学者にたいして、「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。

わたしが来たのは,正しい人を招くためでなく、罪人を招くためである」と語られまし

た。これは、徴税人レビ一人への招きでなく、神の国の働きのために召しだされるそ

のあり方そのものを表しています。そして、この主の招きは、このような招きを批判

し、ついてゆけない人々に対してこそ、働きかけている主の招きの深みを表していま

す。

 レビの招きは実に簡単です。「わたしについてきなさい」と主イエスが語りかけ、

レビは、「すべてを後にして従って行った」、それだけです。人生の方向の大転換。

その背後に隠された物語がどのようなものであったか。自分の主イエスとの出会いの

歴史を振り返りながら、その内容の深みを読み取るしかありません。徴税人レビのす

べてをご存知の主イエスの深いまなざし、激しい迫力、一切の宗教的・社会的制約を

押しのけて、あえて選び出すその召し出しのあり方を学ぶことが出来ます。

 しかし、レビの召命物語は、主イエスの招きをレビは自分ひとりの招きと考えない

で、十分たちの仲間全体への主イエスの働きかけと受け取り、「罪人や徴税人の仲間」

と呼び集めて主イエスと弟子たちと一緒に食事をしたところに新たな展開があります。

レビは召命をとおして主イエスの福音の本質を理解しています。しかし、「汚れた者

たち、不正や暴力や不誠実に満ちた売国奴の連中」、とののしられる人々と共に食事

をしたことは当然批判されます。そこから、あの有名な主の言葉「わたしが来たのは

・・・」が語られます。誰に対して語られているのか。主の招きの声を深く聞いたレ

ビや罪人ではなく、主の招きの声が聞こえないわたしたちに対してではないでしょう

か。罪人である他者の存在のゆえに、自分の国に義人として安住しているわたしたち

にたいして。主のその病を負われるのです


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